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アクティブラーニングわっしょい!へのツッコミ

今年のPCカンファレンス(僕が分科会で発表したときのスライドは別の記事にて紹介しています)は、やたらと「アクティブラーニング」という言葉を耳にする大会だった。超ざっくり言うと「受動的な学習から能動的な学習へ!」みたいな話なんだけど、予想通りバズワード化してる感じで、これまでの「e-Portfolio言いたいだけ」とか「クラウド言いたいだけ」に続く「アクティブラーニング言いたいだけ」な発表が多いという印象を受けた。

学習の捉え方を変えていこうという姿勢は賛同するし、僕も(自分が受けてきた大半の授業のような)一方的な講義スタイルはしないようにしている。従来の授業スタイルに合わせて作られた教室環境ではやりにくいことも多いので、無線LANだの壁面ホワイトボードだのといったハード面を変えていく方針も、それ自体は歓迎する。ただ、理屈というか理想のイメージの話ばかりで、実際のそれぞれの現場をどのようにデザインしていくのか、そのサポートに関する具体的な話が、なかなか語られないことが気になる。まだ導入段階で結果報告の時期ではないからかもしれないけど、すでに個々の教師や学習者はいろいろと感じてることも多いと思うんだよね。

何年経ってもITが教育現場に浸透しない理由はいろいろあるけれど、ひとつは教師の気持ちの部分が大きいと思う。ITという不慣れなものを扱うおっかなさ、新しいことを学ばなければならない面倒くささ、やがてITに自分の仕事を奪われてしまうのではないかという怖さ、などなど。加えて、教師が「今のままでも特に大きな問題は感じていない」と思っているのなら、わざわざ全く違うことに手を出す理由はないわけで。アクティブラーニングもまた、上が勝手に言ってること、適当にやりすごしたいこと、という目で最初から捉えられてしまうのではないか。

なぜ新しい学びが求められるのか、なぜ教育のアプローチを変えなければならないのか、という理屈の部分を、変わりつつある社会や学習環境から理解することは大事。そのうえで、新しい取り組みに関する旗振り役をする人は、取り組む上でどんな困難があるのかを整理し、それに対してどんなサポートができるのかを提示する必要があると思う。理想だけ押し付けて「あとは現場でよしなにやってよね」では人は動かない。

たとえば、アクティブラーニングに関するハード面の整備として、教室の壁の一部をガラス張りにした例がカンファレンスでは紹介されていた。実際にその場に足を運んでみたのだけど、確かに人通りの多い廊下に面した大きな教室の壁がガラスだと、中身が丸見えでインパクトがある。ここでアクティブラーニングやってまっせ!ということを内外にアピールするには良いと思う。まさにショーケース。

ただ、実際にその中で学ぶ側の気持ちがそこに反映されているのかどうかは疑問。だって、他の学生や外部の人がジロジロ見放題の「檻」の中で学ぶようなものでしょ。おまけにグループワーク主体の授業だから、教師も学生も動き回ったり発言したりする機会も増えるし、壁の向こう側に視線が行くことだって多くなる。恥ずかしいよね。目立ちたくないよね。自然に振る舞えったって無理だよね。

大学にいたときの教師教育の授業で学んだことのひとつに「学びの場は安心・安全でなければならない」ということがある。教師が自分の教育実践を振り返り、それを他者と共有し、そこから互いに学んでいくような場としての授業。そこでは、発言が咎められる、話者が否定されるようなことが起きないよう、参加者でルールを守って行動することが求められたし、安心して発言できるような環境(イスの配置とか、テーブルにはお菓子とか)がデザインされていた。そういう場だったからこそ、僕自身も安心して学ぶことができたし、場のデザインは重要だということに気づくことができた。

いまでも教育現場では、事前の協議もなく見学者が教室に来る、授業開始時に見学者が名乗ったり説明したりすることなく教室にいる、無断でメモを取る、机をのぞき込んだりする、といった場面があったりする。僕も自分の担当授業でそういう目に遭って思わず怒ったら、何が問題なの?的なリアクションを返されて困ったことがあった。学びの邪魔をする要因というのは、あちこちに転がっているものだ。

ガラスの壁という設計がとにかくダメ、と言うつもりはない。そういう教室が増えて、授業外の人たちも学びに間接的に参加するような環境ができたなら、それはとても面白いことだと思う。ただ、そうした環境の変更のプラス面ばかりを見ていてはいけない、ということは言っておきたい。学びというのは1つの決まった理想形ですべて片づくものではなく、学ぶ内容や関わる人たちによって適切な形がそれぞれ違う。これまでの学びのパラダイムを変えるような取り組みだからこそ、すべての人がそう簡単には変わらないし、変わることがすべて正しいと思うことは危険だ。

改革の旗振り役が全体的なことを言うのは(それが仕事だから)別にいい。でも、それで終わることなく、個々の現場での実践を様々なレイヤーで支援することにまで、しっかりと目を向けてほしい。それをしないで「社会人基礎力() の構成要素である コミュ力()プレゼンテーション力() を身に付けるためには、ワークショップ() 主体の授業で グループワーク() を日常化すればいい」なんて簡単に語られているのを見ると、僕としては「それはわかったから、次は現場の声も聞こうか」と言いたくなっちゃうのである。