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点を線にするために必要なこと

前回の記事「足りぬ足りぬは勉強が足りぬ」は、自分が学習者側として、セミナーとか勉強会とかに参加する側の視点で書いた。ただ、それは話をわかりやすくするためであって、大学などで毎週のように授業を担当している自分としては、教える側として感じることも記事の中には多分に含まれている。

どんな授業にしろセミナーにしろ勉強会にしろ、参加しているその時間だけの学びで身につくものは少ない。事前に何かの問題意識を持って臨んだり、事後に試行錯誤したりして深めていってこそ、それなりのものを得られるように思う。授業は点であり、物事を前に進めるきっかけにはなっても、それだけで終わっては線にはならない。

そういう点と線の関係を意識して授業をデザインしてはいるものの、受講生のほとんどは、よくて点で終わってしまっている印象だ。たいした内容じゃないし点で終わっても構わない、という人も多いと思う。それならそれでいい。でも、点を線にしていく経験がない、そのためのノウハウを持っていないことで、貴重なチャンスを逃しているとしたらもったいないなぁ、と思ったりする。これはおせっかいだし、教師としては「点としてもらうこと」に対して努力していく以外ないのだけれど。

偉そうなことを書いているものの、僕も昨年の後半は思うような勉強がほとんどできなかった。それまでとはかなりジャンルの違う授業を担当したこともあって、毎日が「授業日まであと何日」と考えながら準備に追われる日々。なかなか先のことを考えて動くエネルギーがない。週末に時間を確保することはできるけど、こういう状態でセミナーイベントに行っても、それこそ「点で終わり」になってしまう感があったので、余計に足が遠のいてしまった。だから、以下の記事はすごく思うところがある。

技術力がつかない負の流れに陥ってしまった。

僕は、コツコツ積み上げてていくような勉強とか、複数のジャンルを並行して頭を切り替えつつ勉強するようなことが、得意でない(要するに勉強が苦手)。仕事が終わってから別ジャンルの資格取得の勉強、みたいなことができる人はすごいなーと感心する。とはいえ、勉強しなくてもいいとは思わないし、日常的に勉強していけるようにしたいとも思っている。

そういう自分が仕事をしていくなかで感じているのは、勉強を続けていくためには「適度に暇のある仕事をする」か「次々勉強していかないと続けられない仕事をする」のどちらかが必要だということ。

前者については、20代のころに教育機関で仕事をしていたときに感じた。そこでは自分で仕事を見つける裁量と時間が与えられていたので、繁忙期でないときに仕事を振り返って改善策を練ったり、現場をうろうろして問題点を見つけては勝手に取り組んだりした。そのときの経験があるから、毎日の仕事に追われることに慣れるとヤバい、と思うようになったところがある。

後者については、講師として(自分にとって)新しいジャンルの授業を任されるたびに感じている。たとえば「飲食店を開業したいと考えている人に、マネジメントの考え方を身に付けてもらう」とか「図書館の司書になりたい人たちに、ネット時代の図書館の情報サービスのあり方を考えてもらう」とかいった授業は、大学院を出て仕事を始めたころには想像もしていなかった仕事だ。

畑違いのことを教えるのだから、当然ながら勉強が必要になる。責任があるから適当には教えられないし、学習者は賢いので「教師の理解が曖昧なところ」は簡単に見抜いてしまう。できるだけしっかり勉強したいところだけれど、時間は限られているし、実務経験のなさなど経歴は塗り替えようがない。そういうプレッシャーの中で勉強することで、対象の勘所をつかむ、自分の専門領域との関連を考える、自分の経験を違った角度で解釈するといったことが必要になる。それが他の仕事にも活かせる気がするから、今ではあえて違うジャンルの仕事をやってみたいとすら思っている。

どうやって勉強を続けていくのか、という問いに対する解は、人によって違うだろう。環境を変えるために仕事を変える、勤務先を変えるというのも、ひとつの方法。もちろん、すべてを自分でコントロールできるわけじゃないし、自分の場合は「偶然が重なって今がある」みたいな状況だ。ただ、それでも、何かしら変化を用意しようとしないかぎり、点を線につなげるのは難しいんじゃないかなぁと思っている。