足りぬ足りぬは勉強が足りぬ
ちゃんとマスターするにはそれ相応の時間が必要なものでも、全体像を把握するだけなら半日集中すればいける、というものは結構ある。もっと言うなら、自分にとって学ぶ価値があるかどうか判断するだけなら30分頑張ればよい、というものはかなり多い気がする。時間とか量とかは、僕の個人的な感覚にしかすぎないけど。
よくセミナーのアンケートで「テーマとして取り上げてほしい内容はありますか」っていう項目があるけど、あれは書くことが思いつかなくて空欄にすることが多い。学びたいと思うことをハッキリ言葉にできるなら、さっさと自分で学べばいいし、学ぶべきでしょと自分に問うようにしている。
いまの時代、キーワードを思いつくならとりあえず検索ができるし、検索すれば本とかサイトとか誰かの講演スライドとかは見つかる。それに目を通せば、少なくともセミナーのような限られた時間で扱えるような初歩的な内容は把握できる。セミナーを開いてもらうのを待つ必要なんかない。
もちろん、一歩進んだ内容で適したリソースがないものとか、経験者で意見を交換するような形でないと深まらないような知見が「学びたいこと」という場合はある。それは簡単にキーワードでまとめられなかったりする。でもそういうのって、一般的なセミナー形式で学ぶのには向いていない。気心知れた少人数の仲間で、内容もレベルもフォーカスを絞って、互いに高い意識もって臨むような場にしないと学べない。
こう言うと「たとえそのわずかな時間であっても、勉強の時間を毎日の中から捻出するのが難しいんだよねぇ」とかいう話になったりする。けど「そのわずかな時間を捻出できないような仕事の仕方からして勉強が足りない」ということだと思う。いや「思う」というか、自分がそういう状況に陥っているときは、そう考えるようにしている。
だって、予備知識ゼロの状態でセミナーに参加した場合、一見すると半日とかで充実して学べたような気分になるけど、たいていは気分だけでしょう。学んだことを自分の状況や現実に合わせて考える作業が後で必要で、でもそのための時間を確保できるような毎日ではない。だからできない、気分だけに終わって先に進まない。
それなら、最初から自分主体で学べる時間を短くても確保して、それを積み上げていった方が先に進みやすいのではないか。仕事をうまく削って時間を確保するスキル、短い時間で勘所を押さえるスキルを身につけるほうが、セミナーマニアになるより大事ではないか。僕のまわりの「デキる人」はそうしているような気がする。
そんなことを考えていたこともあり、昨年はセミナーイベントに参加することが少なかった。例年の3分の1以下とかかな。人の集まる場所に行くことの価値は、それはそれであるのだけれど、それと勉強とを変に混ぜて考えてしまわない。いまの自分には、自分主体でやる時間を確保するのが先。まだ勉強上手になったわけではないけど、そう思うところまでは来た感じ。