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学びの面白さの伝え方

尖った記事だったので、学びについてつらつら考えていた。

NHK地理講座の先生へ。メディア・コンテンツが置かれた現状を知り、競争意識を持って! - コウモリの世界の図解

この記事の書き手が言いたいことは分かる気がする。その論を展開するには適切でない切り口を選んでいることと、何だか相手を叩くことが目的かのようになっていることは、実にもったいないと思うけれども。

僕も日々教えたり教材開発をしたりしているけど、どんな学びもそれ自体に面白さを持っているものだと思う。新しい世界を冒険するような面白さ。学ぶことは面白い。

でも「学ぶことは変わること」と言われるように、学ぶ側は何らかの変化を求められる。それは時に、大きなストレスや痛みをともなうものだったりもする。答えのない問い、知らないほうが幸せだった事実、これまで自身を支えてきた価値観との衝突。僕は、日本語教育という分野に足を踏み入れた大学時代に、そういう経験をいくつもしたし、今もそれは続いている。そして、それが学びの最大の面白さでもあると思う。

ただ、そういう複雑な価値ある面白さを実感するには、やっぱりそれなりに腰を据えて学びに取り組まないといけないと思う。時間も必要。根気も必要。場合によってはお金も必要だ。パッと見聞きしてすぐ理解できるようなのは、自分を大きく変えるには至らない。面白さも大きくないかもしれない。自然と、学びのコンテンツは「つまらなそうな、難しそうな、面倒くさそうな雰囲気」を身にまとう。

多くの人は、何が面白いのかもわからず必死に山を登り続けるようなことはしない。僕だってそうだ。だから僕が教えるときは、とにかく興味を持ってもらいやすいよう、あの手この手の工夫をする。授業でいうと、最初の数時間がすべて。学習者が少しは前向きに席に座っているあいだに、新しい世界の片鱗を早くチラ見せしてあげる、自分に関係のあることなんだと感じてもらう。それが理想。まぁ、教える内容によっては相当に難しいことなんだけど。

でも、そうした工夫は、記事で指摘されている「お笑い芸人との掛け合い」とは少し違うと思うんだよね。エンターテイメント的な演出であって、学びの本質的な面白さをうまく抽出するのとは違う。演出のプロフェッショナルはお笑い芸人であったとしても、学びの本質を伝える資質は教師が持っている(べきだ)と思う。

もちろん、僕も教師として演出もたくさんやっていますよ。学習者の集中力や意欲を削がないよう、言動や教材や授業の展開には細やかに気を配っているつもり。でもね、演出でごまかせる部分は重要だけれども、それは本質じゃない。教師はパフォーマーではなく、学びの魅力を学習者よりひと足早く実感した水先案内人。いずれ自分の地図を持って冒険を始める学習者の、その最初の一歩をアシストするガイドさん。その役割を果たすことにエネルギーを使うべきだ、と僕は思っている。

教育者として果たすべき役割が、世界の入り口に近い位置で演出に力を入れることなのか、それともプロの研究者仲間として切磋琢磨することなのか、それは人にもよる。ただ、前者に必要な姿勢と能力を持った人が全体的に少なくて、それが良質な教育コンテンツを世に十分に輩出できていないこと、そのことに十分な危機感を持っていない人が多いことは、僕も実感している。日本語教育も、情報教育も、プレゼン教育もそう。学会ではいつもそういう主張をして煙たがられてる(笑)。だから、この記事には共感する部分もある。

ただ、当たり前だけど、みんながみんな現状に甘んじてるわけじゃない。主張をする相手と、問題の指摘の切り口とを考えないと、味方であるはずの人たちを敵に回すこともある。僕も日々似たようなことを言ったりやったりしているので、自分にも向けた言葉としてメモしておく。