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なぜ教師はデジタル教材と向き合わなければならないのか

この数年、教育関連の学会や研究会に出ては「教師はもっと真剣にデジタル教材に向き合わないといけない」という話をしている。デジタルな今風の教材は何がすごいのか。それを理解するのには、ネット・スマホ・無料、の3つがキーワードになるんじゃないかと思っている。

キーワードの1つ目は、インターネット。ネットを利用することで、教材自身に組み込まれていない(書かれていない)情報、教材の外にあるリソースを使えるようになった。教材に書かれている情報は、吟味され厳選されたものになっている。その点は特に初学者には有効だろう。でも、それは同時に閉じられた世界でもあり、限界がある。

それに対してネットには、誰かが作った様々なリソースがあふれている。中には不正確なものもあるし、雑で出来の悪いものもある。そのいっぽうで、手元のその教科書よりも的確で、リアルで、魅力的なものもたくさんある。そんなものを自由に、教室にいながら活用して学べるようになった。

2つ目はスマートフォン。いまやスマホは学習者の間で相当に普及している。これは、PCルームでしか使えないという前提込みだったデジタル教材が、いつでもどこでも気軽に携帯できるようになったということ。もちろん学習者にその気があればだけどね。

スマホはノートPCの延長にあるものだ、と考えてる教師も多そうだけど、ぜんぜん違うと僕は思っている。スマホは、いつでもどこでも自分のしたいことをするための変幻自在の道具。何かを残しておきたいと思ったら鉛筆を手に取るように、スマホのキーボードをタッチしたり、カメラで撮影したり、録音したりする。何かを調べたいと思ったら辞書を手に取るように、アプリを起動したり、Googleで探したり、友達にメッセージを送ったりする。それがスマホ。デジタルとかアナログとかじゃない。PCよりもっとフィジカルなもの。息をするように使うもの。どんどん体の一部になっていくもの。

3つ目は無料サービス。いまや価値ある教材やリソースのほとんどが、ネットとスマホがあれば無料かそれに近い形で使える。Webサービスやアプリの形で提供されていて、難しい知識も必要ない。技術も使い勝手もアップデートは早くて、スゴイものがどんどん出てくる。教師が何年もかかって教材を開発しても、公開するころには周回遅れだったりする。無料が当たり前と認識される時代、高価な教材(というか有料のものすべて)は、その価値をきちんと証明しなければ手に取ってもらえなくなってきている。

キャリアのある教師からすれば、この3点は大きな「変化」だと捉えられるかもしれないけど、今の学習者にしてみれば最初からそうなのであって「普通のこと」にすぎない。そんな感覚を持つ学習者を相手に、閉じられた紙の教材だけを使い、それが前提の授業設計をして、教室と教師自身の制約に縛られた授業を繰り返すことは、どういう意味を持つのか。

このあたり、そろそろ教師は本気で考えないといけない時だと思う。学習者は待ってはくれない。