ユーザー体験とユーザー観察
- 2012年04月03日
また揚げ足を取っていると言われそうですが、やっぱりこういう記事を読むと何となく引っかかるんですよね。
第55回 ユーザエクスペリエンス(UX)の質を評価する|SQiP:Software Quality Profession
例えば、記事の終わりにある「しっかりとUXを作り込んでいたら、微妙な操作感の調整などで済むはず」という記述は引っかかります。そもそも「UXを作り込む」というのは、具体的にどんな作業を指すんでしょう。
以前UXに関する記事を書いたとき、友人から「UXって何だよ」というツッコミを受けたので、今回はそこの説明も少し。正直なところ、UXっていう言葉を使わずに、普通に「ユーザーの体験」って言っちゃえば分かりやすいのでは、と思っているのですが、ここはガンダムで説明しているツイートを紹介しましょう。
【UIとUXの違いを理解していない人へ】: UIを「かっこいいモビルスーツであるガンダム」だとするとUXは「ガンダムという作品に熱中した思い出」
— nogutetuさん (@nogutetu) 3月 21, 2012
・・ということです。前者がモビルスーツを引き合いに出しているのに、後者は作品全体について扱っているのがミソかも。ガンダムという作品を形作るのは、何もモビルスーツの姿形だけじゃなくて、声優やストーリーといったことも含まれるわけです。UXを「体験」、UIを「体験を引き起こすもの」と置き換えて考えてもいいかもしれません。iPadがもたらす体験には、iPadの製品自体はもちろん、そのパッケージや流通、他の人が使っている様子を目にすることなんかも関わるでしょうから、それら要素は広い意味ですべてUIと考えてもいいかもしれませんが。
で、冒頭の記事に話を戻すと「UXを作り込む」というのは、どんな感情や感覚をユーザーに感じてもらうことを目指すのか、それをしっかりと定めるということになるでしょう。この「しっかりと定める」というのは、ユーザーのペルソナを作ってストーリーを考えたり、何かに他の言葉や事象で例えたり、イメージを絵にしたりして、抽象的なものだけど「それでもあれでもなくこれ」だと輪郭をはっきりさせていくこと。関係者での認識のズレをできるだけ少なくするとか、リアリティのあるものにすることも含まれるでしょうね。
でも、そうやって頑張ってUXを作り込んだとしても、それはあくまでUIを決めるうえでの指針にしかなりません。ボタンの見た目はどうしようか、押し心地はどうしよう、どこに配置したらベストだろう・・・まぁこれはいかにもプロダクトっぽい具体例ですが、とにかくそんな諸々のこと(=UI)を決める基準になるだけで、適切なものを作るには別のスキルが必要です。だから「しっかりとUXを作り込んでいたら、微妙な操作感の調整などで済むはず」と言うこと自体、ちょっとヘンな気がしますね。UXによってUIのパターンがそんなに極端に狭まるとは思えないですから。まるで見当違いのものを作ってしまうことは避けやすくなるでしょうけど。
あと、関連してもう1つ気になるのが、ユーザーが使う姿を観察しているときの「もし、自分たちが狙っていたこととドンピシャリで喜んで楽しく使ってもらえていたら歓声を上げて喜びたくなる瞬間でもあります」という部分。いや、気持ちはわかります。こういう体験をしてもらおう、と描いていたのとまさに同じ行動をユーザーがとったら、確かに狙い通りで嬉しいのはわかります。でも意地悪な見方をすれば、同じ行動を取ったら同じ体験だ、とは簡単に言えないですよね。ええと、逆の表現の方がわかりやすいかもしれません。ユーザーが予想と違う行動を取ったら、それはダメなのか?ということです。
作り手が大事にすべきなのは、ユーザーの体験です。行動じゃない。だからユーザーの行動を見て、事前の予想と同じ行動かどうかに注目するだけでなく、そこからユーザーのしている体験を想像することがより重要なんじゃないでしょうか。もちろん、観察の後にユーザーに話を聞くわけですけど、行動は想像の手がかりのひとつぐらいに考えないと、ユーザーのしている体験を誤って解釈しちゃう可能性が高まるのではないかと思います。
例えば「お母さんを思い出すような懐かしさを感じてもらいたい」という狙いで開発したカレーがあったとして、そのカレーを泣きながら食べているユーザーと、しかめっ面で食べているユーザーがいて、でも両者の心の中で起こっていることがよく似ている場合だってあるでしょう。あるいは、みんな笑顔で食べてくれたから成功だ、と言えるわけでもないですよね。
別の例で言えば、タスクにかかった時間が長かったことが「使いにくいと感じた」とか「使ううえでストレスがたまった」という感情と必ずしもイコールで結ばれるとは限りません。楽しくてアレコレ目移りしたのかもしれませんし。
別に「量的なデータは意味がない」と言いたいのではないですよ。それはそれでもちろん重要。でも質的なデータとあわせて慎重に判断しないといけないし、行動の解釈を即座に行なわないよう意識するぐらいじゃないと、観察後の質問も決めつけたものになりやしないかな、と思ったのです。
ユーザーの使ってる姿を観察するとか、そもそもUXを意識してデザインしていくことって、「自分の知らない世界のことを学ぼうとすること」だと思います。自分の知らない世界のことだからこそ、先入観は捨てて新しいページを用意して対象と向き合う必要がある。だから、たとえ開発終盤のテストであっても、思い通りにユーザーが動いてくれることを期待する気持ちは抑えて、新たに自分の認識違いに気づいたり、何かを発見することを意識した方がいいんじゃないのかな。そんなんじゃいつまでたっても開発が終わらねえだろって言われそうですが・・。
先の記事は、どうもUX(体験)を評価するというテーマでありながら、ユーザビリティの要素を強く意識したUI評価の話になってしまっている、という印象を受けました。ユーザビリティもUXの一部だと思いますけど、それだけをしてユーザーの満足という体験を語るのは、いささか偏ってるかなと。じゃあタイトル変えればいいのかっていうと、この流れでUXの話も読みたいなぁと思ったりするんですよ。
などと悶々としながら「UXとUI」というキーワードでGoogleさんと遊んでたら、すごく納得の記事を見つけました。
パクリサイトはなぜ嫌われるのか? またはUI視点とUX視点の違いについて | miyasho88 blog
おお。僕の話よりずっとわかりやすいんで、ぜひこちらもどうぞ。