スペシャリストになるためのゼネラリスト的視点
- 2011年04月13日
友人が「ゼネラリストとスペシャリスト」的なことを書いていたので、それに触発されて僕もちょっと書いてみます。
僕は同業者と名刺交換をするとき、相手に「何が得意なんですか?」とか「これは任せろ!っていうの、あります?」とよく質問します。それをまず把握しておけば、その人の関心の強いテーマで話を始めることができるし、後で制作協力者が必要になったときに適切に声をかけることができるからです。
例えば「グラフィックが得意」という人であれば、アートディレクション的な立場で仕事をするのがいいのか、それともツールを使って具体的な仕上げをするのが向いているのか、あるいは全部通して任せてもらうのが好きなのかといった、技術の方向性や仕事の仕方の好みまで重ねて質問します。実際に仕事をお願いするなら、やはり得意な分野に得意な形で携わってもらうほうが気分がいいでしょうし、実力もより発揮できると思うからです。
僕がWeb制作の仕事を始める気になったのは、クライアントとデザイナーの間に入って互いのコミュニケーションを助ける、そんな役回りが制作には必要だと思ったからです。それが、Webと教育という、自分が持っている両方の知識や視点を生かせる仕事だと判断したからです。
この決断をしたのは2003年ですが、不安要素もありました(正確には不安は現在も継続中なのですが)。デザインプロセスにおいてこの役回り(いまで言うディレクション)が重要であることはわかっているものの、そこに対価が支払われるような形にできるのだろうかということ。僕は最初からフリーランスで仕事を始めたので、いきなり予算の大きな仕事が回ってくるはずはありません。自分の得意分野はディレクションです、と言ったって、クライアントにその仕事の価値を実感してもらうのは難しいですし、ましてやその仕事に専念させてもらえるような予算組みがなされるはずもありません。最初から最後まで自分ひとりで低コストでサイトを完成させ、そのサイトの出来に対価を支払ってもらう形で生計を立てるしかありません。HTMLもCSSも、グラフィックもIAも、CMSもjQueryも、仕事として求められるものを身に付けてきたというわけです。
ただ、今でもサイトはひとりで作ってしまうことが多いとはいえ、自分のやりたいこと・得意なことと距離を置きながら仕事をしているわけではありません。ジャンルとしては教育系サイトの制作を請けるようにしていますし、制作ではディレクションに注力します。次に同種の仕事が入ってくるように学会発表を積極的にし、ディレクションの大切さをあちこちで語ります。その積み重ねで、予算規模の大きな、ディレクションの役割を理解してくれるクライアントとの仕事を得ようしているわけです。Web系のセミナーの懇親会に積極的に顔を出すのも、安心して協業できる制作パートナーを得て、来たるべきそういう案件に対応できるようにしたいからです。
スペシャリティーとは、まず自分でそれを定義したうえで、周りからそう認識されて初めて成立するものではないか、と僕は考えています。教育の観点から企画と設計にきちんと意見するというのは僕のスペシャリティーですが、そのことを評価し、振る舞いを期待し、対価を支払ってくれるクライアントがいなければ(僕が生計を立てられるかという点では)意味がありません。一般的な例で言うと、プログラムに関するスペシャリティーは、プログラムを必要としないサイトを手がけている範囲であれば意味を持たない、ということです。だって、いらないんですもの。
自分の関心が強いこと、こだわりがあること、好きなことをスペシャリティーとするには、そこに市場価値があるか、市場価値を作り出せるかが重要だと思います。その判断は、基本的に自分がしなければいけないでしょう。30年修業したあと30年名人として仕事ができるような、環境変化の少ない職人の世界であれば、自分で判断しなくても、あらかじめ敷かれたレールに乗ればいいかもしれません。でもWebの世界はそうではない気がします。当時はスペシャリティーだと言われていたスキルも、10年後にはセミオートで処理できるということが起こりうる世界です。例えば、ブラウザ互換のスキルはjQueryやCSSコンパイラが、汎用的なモジュールのプログラムスキルはCMSや汎用ライブラリが、そのスペシャリティーとしての価値を奪っていく、と僕は見ています。
会社員であれば、今後生き残れる会社を選ぶこと、その会社内で価値あるポジションを得ることには、個人の判断が必要になります。フリーランスであれば、業界動向を判断して自分のスペシャリティーを定義する、ということです。この判断こそが、ゼネラリストとしてのスキルではないでしょうか。
スペシャリティーは単独で存在するわけではなく、取り巻く環境がそれを決める。したがって、スペシャリストとして生きるためには、自身のスペシャリティーが成立する環境を読み解く目が必要で、それこそがゼネラリストとしてのスキルである。
ということで、スペシャリストとゼネラリストは、僕の中では明確な対立項じゃないんですよね。どちらか片方だけで成立するもんじゃない。
じゃあどうするのっていうと「自分がしたいと思うこと」ができるように自分を持っていく、ということなんじゃないかと。したいことだけやっていても、それが自然にスペシャリティーになることは考えにくい。したいことがスペシャリティーになるように、その市場価値をゼネラリスト的スキルで作っていく。もちろん、どこまで突き詰めるかは人それぞれでしょうけど。
その点で言うと、僕は名刺に「自分のしたいこと」を書いておくのがいいと思うんですよね。出会った人につっこんでもらえるし、声を掛ける取っ掛りになるはずだから。もちろん書くだけでは市場価値は完成しないけど、市場価値を作る最初の一歩にはなってると思うんです。
結局、自分を生かすも殺すも自分次第、なのかも。