withComputer

それも教師の仕事のうち

読んでいて、むむむ・・となったので書いてみる。

新しいものが最善とは限らない? ―テクノロジーで職人技を超えるために―

僕が日本語教育機関で仕事を始めたのは15年ほど前。当時の主な仕事は、授業準備の手伝いや教材制作でした。その中に、音声を吹き込んだカセットテープ教材を学習者の人数分だけ複製して配る、というものがありました。

カセットテープの複製は、同時に7個を高速ダビングできる専用の機械でやっていました。これはとても便利なのですが、さまざまな研修で使い込まれていたせいか故障も多く、たびたび修理に出されていました。やがて「もう交換の部品も少ないらしく修理が難しい。今後はテープからCDに切り替えていかないと・・」ということになり、テープをMacにつないでデジタル化してトラックに切り分けCDにプレスする、という仕事も回ってくるようになりました。

その時にクラス担当の教師から聞かされたのが「CDはカセットテープのような柔軟な頭出しができなくて使いにくい」という、まさに上の記事で伊波さんが書いている話です。だから、音声教材は教師が使いやすいメディアであるべき、というポイントはよくわかります。

でも、カセットテープに代わる提案が(ベストではないと但し書きがあるとはいえ)俗に言う「MP3 CD」であるのには、正直ずっこけてしまいました。いくらなんでも発想が古すぎやしませんかね。

そもそもCDというメディアになぜこだわるのか。音楽は、CDをCDプレイヤーで聴くというスタイルから、パソコンとiPodの組み合わせに変わり、今はスマホだけで(ネットを使って)音源の入手から再生・管理までやってしまう時代です。データはクラウドにあるから、そもそもメディアとかファイルなんて意識しない、そんな感覚の人も多いでしょう。いま提案するなら、スマホ向けのアプリが妥当なところなんじゃないでしょうか。

こんなことを書くと「あなたはITがお仕事だから何でも使いこなせるでしょうけど」とか「教師がみんなスマホを持っているとは限らない」とか「パソコンにCDを取り込む方法すらわからない人だっている」とか言われるかもしれません。というか、実際に飽きるくらい言われてきました。でもそれって、ちょっと教師の都合を優先しすぎじゃないかと思うのです。

記事中にもあるように、再生機器としての端末は、安価であることも重要です。教育専用機器を開発すれば、オレオレ仕様を盛り込んで使いやすいものにできるでしょう。でもコストの面でまず見合わない。だから世の中の「音楽再生環境のスタンダード」に乗っかる形でやるしかないし、その変遷にも合わせていくしかない。古いメディアを使い続けたいと言ったって、市場から消えてしまえばどうしようもないわけで、そこは教師もスキルをアップデートしたり、工夫をしていかきゃならない。

そもそも「CDは使える」という感覚は、現在の世の中のスタンダードじゃなく、長らく設備投資もされないオンボロ教室の現状に合わせたものじゃないですか。教師も、モノがないからオールドメディアを使い続けるしかないという状況を言い訳に、CD以降の様々なメディアや機器にチャレンジしようとしていない、そういう部分があるのではないでしょうか。そうしたことを棚に上げて、教育現場が「学びの質の向上」とか「目の前の学習者に向き合って」とか言っても、あんまり説得力がないと思うのです。

加えて、最近はネットとスマホの普及によって、学習者が学習環境を自分でデザインしやすくなってきたことも、時代に取り残され気味な教育現場に、今後大きな影響を与えてくると思っています。以前なら「勉強したい=学校に行く」というのが普通でしたが、いまはスマホがあればいつでもどこでも、便利なツールや動画やゲームを使って学ぶことを選べる時代です。もちろん、教室や教師の存在が無意味になったと言うつもりはありませんし、アプリやWebサービスなどの質もまだまだ足りないなぁと思うことが多いです。でも、教室に通うよりも効率的で効果的に学べる場合があることを、多くの人たちが知りつつあるのは間違いありません。これは、学びの選択肢が増え、学習者が主体的に学びやすくなってきたという意味で、とても素晴らしいことだと思います。

そんな時代に生きる教師に求められることは、アプリやWebサービスと競争・補完し、学習者にとっての良き選択肢の1つになることじゃないでしょうか。そうなるためには、そうした他の選択肢も学習者の視点で見つめて、うまく活用してかないといけない。教材もまた同じで、教師の都合はもちろんですけど、もっと世の中の都合、学習者の都合も意識して作られるべきだと思うのです。たとえば、紙の辞書と、電子辞書と、パソコンの辞書と、スマホの辞書は、それぞれが有効に機能する場面や使い方は違うわけで、単純に誰かの視点だけで優劣を付けるべきものではないはずです。

オールドメディアの教材、たとえばカセットテープの音声教材も、引き出しの少ない駆け出しの教師や、プロじゃない教師に必要とされるのであれば、それを作って売るのは経営戦略として普通にアリだと思います。でも、それだけではダメなんじゃないですか。そういう「教える側の都合最優先」の教材がマジョリティになってしまったら、それは業界の危機です。教師や現場にイマドキの学びを提案するような、そんな「意識高い系」の教材も必要でしょう。

教師が直接教える学習者は、その時は教室にいるのかもしれませんが、普段は教室の外に生きています。教室の外を常に見つめたうえで、教室環境と自分(教師)と学習者という制約の中で何をチョイスするのか。そこまで含めて、教師の仕事なんじゃないかと思うのです。

追記(2015.11.14)

続編っぽい記事「続・それも教師の仕事のうち」を書きました。合わせてどうぞ。