学校を出てからが本番
大学や専門学校の授業を担当して10年以上になるけど、授業中に幾度となく思うのが「こんなの授業でやらなくていいのになぁ、わざわざ教師が説明しなくていいのになぁ」ということ。せっかく教科書があるというのに、ほとんど同じことを教師が口頭で言い換えて説明したり、教科書の流れをなぞるようなスライドを作ったりしていると、そういう思いが頭をよぎる。
担当教師として、教科書の記述にフォローを入れたいこと、追加で伝えたいことは持っている。でもそれは、教科書という(ある種の)スタンダードな知見を学んでからでよい話。教科書にはそう書いてるけど最近の事例だと云々、という話をしたいのに、その「教科書にそう書いてる」部分を説明することに授業時間の大半を使わざるをえない現実がある。
まずは教科書を読もう。話はそれからだ。
学生には実際、よくそう言っている。読めば内容はある程度わかるだろう。読んでわからないところは授業で教える。遠慮なく質問もすればいい。読むのは面倒だから授業を聞いて理解すれば楽でいいや、などと教師に期待するのは無理だ。それにはまず授業時間が足りなすぎる。講義形式の一斉授業だから、自分に合ったペースで進めてくれるとは限らない。先に一定レベルの知識や理解がないと、質問もしようがない。だからまず教科書を読んでくれ、ということ。
授業って、多くの人が同じ場所に時間を合わせて集まる、とても貴重なイベントなのだ。そんな貴重な場と時間を使うのだから、それにふさわしいことをしないと、一人で教科書を読むだけでは難しいことをしないと、もったいない。質問とかディスカッションとか、仲間から知見を得ることに使えるほうがいいと思う。アーティストのライブ会場に来て、みんなが手元のCDを黙って再生するのはアホらしいでしょ。そこは生演奏をみんなで聴いて、歌って、一緒に盛り上がりたい。授業もそれと同じだと思う。
とはいえ現実は、そう単純ではない。居眠りしたり遊んだり内職したり、そういう気分のときもあるよね。僕も大学生のころそうだったし、気持ちはよくわかる(いつもだとアレだけど)。高校までの「教室で黙って教師の話を聞く、それが勉強だ」から、急に「前向きに責任を持って学べ、それがアクティブラーニングだ」に意識を変えろなんて言われても、戸惑うし、その方法もわからないと思う。意志はもちろん学習管理のスキルもいる。分野領域に関心が薄かったり、成功体験がなかったりだと、なおさら学習は困難だ。
ただ、だからといって、単純に現実に合わせて「教科書をなぞる講義」をし、授業だけで学びが完結してしまうかのような授業をするのは、何より学生のためにならないと思う。短期的には「楽に単位が取れてラッキー」かもしれないが、後に残るものが少ない。
だって、大学や専門学校を卒業してしまったら、教師や授業をあてにした学習はほとんどできなくなる。自分で学ぶことを決めて、自分で手段を選んで、自分で環境を作って、自分で自分を管理しながら進めないといけない。急に「勉強はひとりで、自分でやるもの」という現実を突きつけられて、働きながら自分を変えていくのは本当に大変だと思う。だから、学校にいるうちに、自分で勉強していくスキル(の足がかり)を手に入れてほしいんだよね。そのための授業と言ってもいい。
人生はずっと勉強。学校を出てからが本番。だからこそ、どうつきあっていくかを学んでほしい。そんなことを裏テーマとして抱えつつ、学生といろいろ話しながらやっていくのが、自分の仕事だと思っている。