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言葉ひとつとっても

挨拶のことば: 心のうち

僕は大学生の頃に劇団に所属していたんだけど、劇団関係者との挨拶はいつでも「おはようございます」が決まりだった。そのときの慣れもあるのか何なのか、僕自身は挨拶でいちばんしっくりくるのは「おはようございます」だ。それに比べて「こんにちは」や「こんばんは」は一呼吸置かないと言えない感じがある。

なので、この記事の件についても、その人が休日の深夜勤務の仕事をしてる人とかで、自分にいちばんしっくりくる挨拶のフレーズがそれだったとかなら、まぁそういうこともあるよねと思いつつ読んだ。いや、記事の書き手の言いたいこととズレた言及なのは承知なんだけど、以下もうちょっと続ける。

高校生のころ、将来は日本語に関係する仕事をしたいなぁという気持ちがあったので、大学は日本語学が学べるところを選んだ。日本語といっても文学的な表現とかはさほど関心がなくて、それよりも日常的な言葉の選び方に関心があった。好きな音楽が槇原敬之だったのとか、広告批評を読んでコピーライターに憧れてたのとかもあったと思う。

学問としての日本語には当然いろいろな領域があって、まぁ在学中はそのさわりしか見ていないようなものだけど、言葉に対するいろんな見方を知ることはできた。言葉は常に変化していくもの、でも規範意識とかアイデンティティとかも関わるもの。あと社会における日本語、教育の対象としての日本語も、仕事をするなかで考える必要もあったりで、意識的に複数の角度から言葉を考えるクセはついている気がする。

でもそういう研究っぽいアプローチの一方で、言葉の好みも結構ある。最近はいろんな感情を「癒される」って言葉で片づけちゃうよね。言葉を使い分けずに文脈で意味を特定させるような流れがあるよね。みんな同じ言い回しに浸かっちゃうと、その人の個性が見えにくくなっちゃうよね。などと思ったりもする。

時々、Twitterでよくリプライは交わすけど会ったことがない人に会いに行く、ということをやることがある。その中のある人は、顔だけでなく年齢も性別も分からない人だったけど、ツイートの文面から性格や感性が自分と合いそうな感じだった。実際に会って「いつも漢字とひらがなのバランスを考えてツイートしてますよね?」とか「『きもち』は『気持』じゃなく『気持ち』って書きたくないですか?」とか質問したら、すごく同意してくれた。まぁ言葉にはそれくらいのこだわりはある。

何かしらの考えや意見を目にしたとき、それに強く賛同していても、ただ「そうだよね僕もそう思う」とだけ書き添えるのはつまらないので、違う方面から言葉を投げてみたりする。逆に、自分が何かの考えや意見を表明しないといけない場合は、長くならないように一面だけ強調して表現することも当然ある。

そういうことなので、まぁ書いてない思いも心の中にはいろいろあるんですよっていう、長いコメントというか雑記でした。


追記(2013.10.23):

友人から「記事中の『在学中はそのさわりしか見ていない』の『さわり』は『一番肝要な部分』という意味なので用法がズレてるのではないか」といったコメントをもらいました。この言葉の使い方については、あまり意識していなかったので少し調べてみました。

平成19年の文化庁の調査では、本来は「話などの要点のこと」という意味だが「話などの最初の部分のこと」だと考えている人が半数を超えている、という結果が出ているようです。

文化庁 | 文化庁月報 | 連載 「言葉のQ&A」

また、ググっていたら、こういう指摘の記事もありました。

「さわり」 という言葉の意味: tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃)

僕は「さわりだけ学んだ」を「その分野の代表的なところを浅く入門した」というような意味で表現しました。もっと抽象的に言うと「特徴的で魅力のわかりやすい部分を取り出したところ」が「さわり」というイメージ。

これは微妙なところで、要約して語れるような内容であればそれは「話の要点」であるけれど、物語のような場合には話の導入も面白かったりするので「話の最初の部分」である場合もある、という気がします。だから文化庁の二択の質問は、僕なら答えに困ってしまうかもなぁと。まぁそれが一般的な感覚かどうかはわかりませんが。

ということで、言葉のチョイスとしては「ベストではないかもしれない」が「明らかに意味が取り違えられるほどでもない」という感じなのかな(自分に甘い判断ですかね)。いろいろ考える良い機会だったので、とりあえずこのままにしておきます。最近気になる「悩ましい」も似たようなものでしょうか。

いずれにせよ、こういう言いにくいことを指摘してくれる友人がいるというのは幸せなことです。どうもありがとうございます!