今日からみんながデザイナーなんだ
- 2011年03月20日
東北関東大震災が起こって10日が経ちました。
僕自身に限って言えば、地震発生時は車の中にいて揺れを感じることもなく、家族も無事で、自宅にも目立った影響はありませんでした。それでもしばらくはショック状態というか、心が重くて何もする気が起きず、言葉はどこかトゲトゲしく、時折オーバーなリアクションをしてしまうような心理状態になっていました。今ではそれを振り返られるくらいには落ち着いているのですが。
地震のちょうど1週間前、僕は学会発表で仙台にいました。3日間の滞在期間中にゴハンにつきあってもらった友人たちは、地震後しばらく安否がわかりませんでした。宿泊していたホテルのすぐ近くの建物は外壁が崩れ落ちていました。夕焼けの美しさが印象的だった仙台空港が水浸しになっている映像は、にわかに信じがたいものがありました。
でも、そうしたこと以上に僕に大きな影響を与えたのが、ものすごい勢いで流れるTwitterのタイムラインでした。
震災直後の東京の友人たちのツイートには揺れへの恐怖が、しばらくすると震度の情報や被害の状況が、会見や報道にはそれに対する感想や批判が、そして同時に助けを求める声、協力を呼びかける声、行動を非難する声、そしてデマのようなものまで刻々と流れていきました。普段とはまったく違う、リアルでシビアで強い感情が乗ったツイートとRTでタイムラインが埋め尽くされます。テレビで被災地の映像を見るのとはまた違った、ひとりひとりのリアルな感情が大量に流れ込んでくるこの感覚は、今までに経験したことがないものでした。
皮肉にも、以前から言われていた「放送と通信の融合」が、この震災によって現実のものとなった感があります。Twitterなどのインターネットメディアは、テレビや新聞といった既存メディアの隙間を埋め、同時に自身の負の側面も強調する結果になりました。このプロセスは新しいのですが、明るみになったのは新しいことではなく、今まで存在していたものの曖昧に流されてきたことだと思います。
顕在化したこの問題には、何か絶対的な正解があるわけではありません。それを自分がどう捉えたいのか、社会を、未来をどうデザインしていきたいのかという、意思そのものが答えであると思います。みんなが同じ答えを出すことはないでしょうし、多様性を許容する「ゆるやかな輪」を作り上げていくというのが、いま必要とされるデザインではないでしょうか。
そして、このデザインにはPhotoshopのスキルは必要ありません。デザイナーという職業である必要もありません。きっと、社会に生きるすべての人たちがデザインしていかなければならない問題なんです。言うなれば、今日からみんながデザイナーなんです。
そしてこの問題は、日本だけでなく人間社会に共通する問題でもあります。そう考えると、僕らは世界に先駆けて、この問題に向き合い解決策をデザインしていく役割を与えられたわけです。これって、ちょっとカッコイイことじゃないですか。
見せてやろうじゃないですか、世界に、僕らのデザインを。何より僕らがそれを見たいし、それを必要としているのだから。