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みんな自分のIAを語っちゃえばいいんだ

CSS Nite LP, Disk 7レポートは当日にアップしたのですが、テーマであったIA(情報アーキテクチャ)について、もう少し思っていることを整理してみます。これで登壇者の一人であった長谷川恭久さんの問いに答えることになるかなー。もう少しとか言いつつ以下非常に長いですが。

レポートでも触れたように、僕はIAをデザインの本質的な要素だと思っています。サイト制作においてIAが全く関係していない作業などないと考えるので、IAは制作に携わるすべての人が意識して学ぶべきことだと思います。ただ、IAがこうしてCSS Niteで特集が組まれ多くの人の関心を集めている背景には、IAというスキルは誰にどの程度要求される(=学ばなければならない)ものなのか、ということがあるからではないでしょうか。

CSS Niteに参加するような意識の高い人たちであれば、IAを学ぶことについては前向きだろうと思います。というか、もうすでにIAという実践には(それが「IA」と呼ばれる作業であると意識しているかは別にして)すでに日々取り組んでいるわけでしょう。だから現実的な問題となるのは、IAに関する知識や関心が薄い人たち、制作をともにするデザイナーやクライアントが関係してくるんじゃないでしょうか。

僕は個人で活動しているので、小規模な制作であれば最初から最後まで一人で手がけます。だからIAにしても何にしても、大切だと感じたことで自分が身につけられると思ったことは、積極的に学ぶようにしています。

ま、僕自身はそういう認識なのですが、何年か前にシステム開発が必要な仕事をすることになって協力者を探したとき、IAのスキルが人によってかなり違うことを痛感しました。正確にはIAというよりインターフェース設計なのですが、会う人会う人、話が通じないのです。その時の仕事では、僕がシステムの動きを具体的に提案して、協力者の意見を聞きながら仕様を決めるというものでしたが、絵で描いてもモックを作って見せても伝わらない、参考になるサイトを挙げてもそれ自体知らないし理解できない、なぜこのようなデザインにするのか話をしても手応えがないのです。これではコミュニケーションロスが半端じゃありません。(広義の)デザインができない人ってこんなに多いのか、と適任者探しに奔走した記憶があります。

僕のようなケースがよくあることなのかは別にして、社内外の制作者とのコミュニケーション(ここでは特にIAに関すること)が難しいケースは、割とあるように聞いています。IAのスキルを誰にどこまで求めるのかの基準、スキルが足りない場合にもなんとか乗り切る方法を知りたいというのが、IAへ関心が寄せられる要因の一部ではないでしょうか。

ちょうど堀内敬子さんが「分業について今思っていること | 云々(うんぬん)」でWeb制作の分業について書かれていたので、それを足がかりに考えてみます。

分業といえば思い出すのが、僕が専門学校時代に大手制作会社の企業説明会に参加したときのこと。その会社ではコーダー、デザイナー、ディレクター、プロデューサーと仕事内容が明確に分かれていました。参加者の一人が「デザイナーからいずれはディレクターになりたい」と発言したことに対して「ディレクターになりたいなら最初からディレクターを目指せ。デザイナーをやってからというのは時間の無駄」と説明されていました。僕はその発言に結構驚いたのですが、これは2005年当時のことですから、今はもっと分業化された制作会社が増えていることでしょう。

雑誌「des [デス]」の対談(メンバーは中村勇吾さん+遠崎寿義さん+足立裕司さん+栗田洋介さんの4人)の中でも、HTMLを学ばずにPhotoshopだけずっとやってる人がいる最近の制作会社のデザイン工程はよろしくない、という話が出ていました。僕も堀内さんと同じように「『分業するより、いろいろやれたり知れたほうが楽しい』という気持ちもある。楽しいほうがいい仕事ができる」と思うタイプなので、ずっとPhotoshopで絵作りするだけの仕事をさせられるのはいやだなぁと、その制作会社の説明会を聞いてるときも思っていました。

でも制作会社サイドに立てば、また違う見方があるんでしょう。新人に様々なスキルを要求したって無理だし育てるのも時間がかかるから、早く即戦力にするためには特定の作業に特化させる。君はとにかくPhotoshopで絵作り、君は絵をもらってコードを書くことに専念、クライアントに接するのはプロデューサーだけ、作業で困ったらディレクターに聞きなさい・・・。そういう場合、デザインをするうえで望ましい体制にではなく、限られた人材で短期間に成果をあげるための体制にウェイトが置かれる、ということです。IAはディレクターがやればいい(やらざるをえない)というね。

また、人材だけでなく制作内容についても、生産力を上げるための試みは進んでいくでしょう。僕のようにプログラムが書けない人の場合、使いやすいCMSとJavaScriptのライブラリは重宝します。プログラマーに頼む必要がなく自分一人で作業が完結するからです。コミュニケーションロスも気にしなくていい。もちろん、使いやすい既製品があっても、それをカスタマイズしたり、あるいはフルスクラッチで作るメリットはちゃんと存在します。でも、それは案件の内容次第なんですよね。予算も時間も限られていてオーソドックスなサイトを作る場合は、やはり効率的な手段が優先されるでしょう。個人や小さな制作会社では特に。HTMLやCSSも汎用性を意識したモジュール的な書き方が進み、ブラウザのバグを上手く回避する環境も整い、UIパターンやテンプレートも充実してくるでしょう。パーツのアウトプットは極力効率的にということです。

そのような制作の流れでは、クライアントとの交渉役、現場の進行管理者、ビジュアル職人、そして(その他もろもろ設計する人という意味で)IAデザイナーというのが基本構成になるんじゃないでしょうか。もちろん全部一人がやる場合もありますが、限られたスキルの人でやりくりする場合、IA担当に力のある人を置けばなんとかなると考えられます。そう、他の人は「IAとかよくわからないです」という状況で案件を回す場合ですね。

この状況下でIA担当者のスキルが足りなければ、悲惨なサイトができあがってしまう可能性があります。逆に言えば、IA担当者が高いスキルを持ち、IAに理解がない周囲を上手く動かせるようであれば、良いサイトができる可能性は高くなる。こうして有能なIA担当者は重宝され、こき使われるという(笑)

その意味では、IAのスキルが高ければ食いっぱぐれない、とも言えそうなのですが、現実はそう単純ではないですよね。僕のIAの定義は広くデザインですから、スキルを上げるために学ぶべきことは山のようにあります。というか、見聞きするもの全て関係するんだと思わなければならないものです。だから「ちょっと新しい技を覚える」というわけにはいきません。また、制作関係者の多くがIAを学ばずに済む(とされる)流れですから、IA担当の個人プレーではどうしようもない部分があると、サイト作りはダメダメになってしまう。これではIA担当はたまったものじゃないですし、業界として良いサイトを安定して世に出していくことが難しくなるのではないでしょうか。

システムの機能ユニットや、モジュール化されたHTML&CSS、UIパターン、高機能なグラフィックソフトによって、サイトの構成物のアウトプットはより効率化されていくとしても、それを人間の視点でどのように選択・配置していくか、つまりここでいうIAは、まさに人の仕事であり、同じようには効率化されることはないでしょう。いや、だからこそ、IAを効率云々だけで語ってしまってはいけないはずです。なぜなら、情報をどのように取捨選択し、組み合わせ、配置していくかが、サイトのみならずWeb全体をデザインしていくことに他ならないのですから。そしてデザインには唯一絶対の正解もないんです。

僕がCSS Nite in Osaka, Vol.7でセッションを担当したときにも似たようなことを話しましたが、やっぱりIA(デザイン)はみんなが考えて取り組んでいくものだと思うんですよね。制約が多い、理解が得られない、そういう難しさは確かに現実に存在しますけど、たとえ小さな部分しかできなくても、諦めてしまうよりはいい。互いを理解していっしょに積み上げることは、難しく、苦しくて、でも楽しく、面白くて、やりがいがあるものだと僕は思っています。

IAって小難しい言葉。デザインもまだ小難しい言葉なのかな。どういう言葉がいいのだろう。もっと楽しくその本質をみんなで語りあえる流れになっていけばいいのに、と思いました。そのためにも、僕らはWebのデザインやブログやTwitterを通して、自分自身にとってのIAを逃げず臆せず語っていけばいいんじゃないかと思います。