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どうぞご自由に学んでください

意識や行動が変わるようなレベルの学びって、単に何かを見聞きしただけではダメで、それこそショックを受けるような体験が同時に必要なんじゃないか、と思うのです。全部がそうじゃないにしても。

僕が大学などで担当している授業は、飲食店開業やプレゼンテーションに関するものですが、それら半年分の講義内容も「その気になれば」1週間で学べるような量です。市販の良書を数冊読めば、内容としては十分カバーできる。授業でも書名を紹介しています。これ読んだらいいよ、授業で扱ってることがよくわかるから、と。でも大半の学生は、読むどころか手にも取らないんじゃないかな。まぁそうですよね。「その気になる」のはとても難しいのです。

このブログでは、教育のことや学びのこと、プレゼンやデザインのことがしつこく話題に出ますが、それは自分が考え続け、学び続けているものであり、過去にショックを受けた体験に関わるものでもあります。

たとえば、僕は二十歳くらいまで「日本語教師というものは日本語が好きなんだ」と思っていました。僕自身、日本語に愛着があるし、自分が嫌いな、あるいは無関心なものを教える仕事に就くことは考えられません。だから他の人もそうに違いないと思っていました。でも、大学の時の指導教官には「単に便利だから使ってるだけ」と言われ、同時期にイギリスで受けた英語教育のアシスタント教師(彼はイタリア人だった)には「はっきり言って英語は本当にクソだ」と言われたことは、僕にとっては本当に衝撃的でした。もちろん、これはどちらが正しいとかそういう問題ではありません。ただ、それ以来、教えることや教わることと、その人(自分を含めて)との関係を、慎重にフラットに考えるようになりました。

フリーランスとして仕事を始めたころ、同業のWeb制作者にお説教されて(していただいて、というのが自分には正しい表現なのですが)ひどく落ち込んで以来、仕事の捉え方やクライアントとの向き合い方も変わりました。自分の話がまったく伝わらない、聞いてももらえないということを経験して以来、自分なりにプレゼンというか、伝え方を勉強するようになりました。最近では、技術系のネタの食わず嫌いを指摘されたので、毎日少しずつでも調べたり試したりをしています。

だんだんと世界が変わっていくように、人も自然にゆっくりと変わっていくものですが、意識的に変わろうとするには大きなエネルギーがいります。誰かの生き方に感銘を受けた、というようなポジティブなショックで自分が変わったという人もいるとは思いますが、僕の場合はネガティブなきっかけが多いです。

そして、変わることは痛みを伴ったり、結果を見れば変わる前の方が幸せだったということもあります。変わることは、たとえその必要性が傍から見れば明らかのように感じても、強制はためらわれるものです。少なくとも僕はそうです。ま、この主張もまた、とあるショックな出来事が背景にあったりするわけですけれども(笑)。

そして、そういうショックが自分の意識を変えてから、初めて学びがスタートするというか、見聞きするものが自分の中に入ってきて、自分から積極的に何かを選んだり手に入れようとするのではないかと思っています。そうなれば、人の話や本やブログ記事はもちろん、今までスルーしていたような何気ないことからも、どんどん学んでいけると思うのです。

そう考えると、授業やセミナーで僕が教師としてできる最大のことは、知識として整理できる「教える内容」そのものというより、そこに価値を見いだせる、それを自分から得ようと思うようになる、その「きっかけのきっかけ」くらいなんでしょう。あえて「きっかけ」ではなく「きっかけのきっかけ」としたのは、授業というパッケージはやはり学校の中のイベントのひとつにすぎなくて、何かをガラッと変えてしまうようなショックにはなりにくいだろうと思うからです。授業のきっかけと、日常生活や仕事のでのきっかけが合わさって、ひとつのショックなことに、どこかでつながればいい。でも、つながらなくていい人もいるだろうし、ショックなんかなくても学べることだってあるので、変な期待もしすぎない。そんなふうに思っています。

とはいえ、受講生のその場での満足も、場の運営側にとっては重要なこと。知識的なわかりやすさもきちんと担保しながら、学びに足を踏みだすきっかけにつながる仕掛けも置いていく、そんなところでしょうか。だから感覚としては「どうぞご自由に学んでください」という感じなのです。