日本語教育にITは必要か?という問い
- 2013年01月09日
もう10年くらい、IT面から日本語教育を支援するツールやワークフローを企画・制作していますが、その成果などを学会や研究会で発表するとき、よく現場教師から「日本語教育にITは必要なんでしょうか」という質問をされます。これは純粋な疑問というより「私は別に必要だと思ってません」という意見表明のニュアンスが強いことが多くて、デジタルはアナログと比べてどの程度高い効果があるのか?とか、インターネットが授業にプラスに働くという先行研究はあるのか?とかいった質問が続くこともしばしば。そんなときは「いや、何もすべてをITに置き換えましょうとか言いたいわけじゃなくて、選択肢のひとつとして適材適所で使おうと言いたいだけなんですけど・・・」と答えるのが恒例になっています。たいてい納得してもらえてない感じですけど。
今までの自分のやり方を変えるのはイヤ、新しいことを学ぶのは億劫、というのはわかります。でも、自分が教えている学習者の毎日に目を向けてみてください。例えばスマートフォンを持っている人、多いでしょ。スマートフォンはこの1〜2年で急速に普及した感じがありますけど、それだけ見ても時代が、くらしが変わってきていることの証拠だと思いませんか。
スマートフォンを持っていない、あるいは持っているが満足に使えていない教師でも、携帯電話としての機能は使えているはずです。携帯電話って、確実に人の行動や考え方を変えましたよね。例えば知り合いとの待ち合わせ。以前なら、待ち合わせ場所や時刻を事前に相手と入念に詰めておかないと、行き違いとかトラブルの元でしたよね。でも今ならアバウトにでも決めておけば、外出先でも随時連絡が取れるし困らない。それがスマートフォンなら、現在地を表示させた地図も見られます。初めての場所であっても、下調べや地図のプリントアウトなんてしなくっても、迷ったら迷ったで何とかなると思える。考え方も行動も大きく変わりました。
簡単なメモはスマートフォンに入力。面倒そうなものはカメラでパシャッと。何か調べたいことがあったら、その場でGoogle検索。辞書だって何でも入れられるから、紙のはもちろん電子辞書だって持ち歩かない。メールはいつでも見られるし、そもそも友達とのメッセージはFacebookでやってる。PDFとか電子書籍だって読めるから、重い紙の束なんかはあんまり持ち歩きたくない。
そんなことが当たり前になっている学習者には、ずっと昔から変わらない学習環境(カリキュラムや教室や教材)の方が、むしろ非日常で不自然で不都合が多いと感じられるのではないでしょうか。教育にITを取り入れるのは、教育現場的にはまだ「新しいこと」なのかもしれませんが、教室の外ではすでに当たり前のように取り入れられていて、それをいつどうアップデートしていくかの段階です。デジタルもアナログも特段区別なんかしていません。
日本語教育者に「学びは教室以外でも起きているでしょ?」と聞けば、多くは「その通りです」と答えるでしょう。「学習者の日常のことを考えた教育をしています」と付け加える人も多いと思います。ならば続けて「では、教室以外では具体的にどうやって学んでいるのか、どんなふうに学べればより良いと学習者は考えているか、知っていますか?」と聞いたら、何と答えるのでしょうか。それを想像すらしないで、学習者の日常における学びの支援を(ITが排除された特殊環境である教室という場所で)行うなどというのは、どうにも無理があると思うのです。
日本語を学びたいという人たちが自分からひっきりなしに飛び込んできてくれるような業界なら、その現場が古めかしく閉鎖的であっても問題は顕在化しないのかもしれません。ですが、むしろ現状は、学びの環境を整えて積極的に呼び込むことも必要なくらい、いろいろ危機的な状況だと僕は思っています。業界が縮小して消滅に向かってしまうと困るのは、ITを前に逡巡している日本語教師も同じでしょう。
もう逃げるのはやめて、現状に向き合いましょうよ。学習者の目線で考えましょうよ。