なあなあで行こう、って言われてもね
- 2010年04月24日
身内に厳しいよね、と何度か言われたことがあります。ここでいう身内とは、Web制作業界とか日本語教育、情報教育の業界などを指します。
サイトやサービスを評価する際に僕が気をつけていることに「短絡的にダメだと切り捨ててしまわない」というのがあります。そのサイトやサービスの出来のよくない部分をことさらに強調して「全然ダメだよねー」と強く言い捨ててしまうことは簡単で、ともすればカッコよく感じたりしてしまうものです。
でも事業というのは多くの人が絡んで形になっているものなので、現場の願いがそのままサービスとして結実しているケースはそうそうなく、デザイナーの狙いが100%反映されているサイトもほとんどないでしょう。予算が十分になかったとか、人のアサインが上手くいかなかったとか、エライ人の機嫌をとらないといけなかったとか、そういう事情はよくあるわけです。それが部分的に「出来のよくない面」となって表れるわけですが、大切なのは「だからといって全てがダメだということではない」ということ。良い部分はきちんと評価し、ダメな部分はそうなった背景などを想像して、自分だったらどうするかを考えて糧にする。鬼の首取ったかのようなことをしない。これはベースメントファクトリーの北村健さんが雑誌記事で言ってたことが元になってるんですが、戒めとしてよく自分に言い聞かせています。
なので、僕は自分では別に批判一辺倒なつもりはなく、身内=自分が強い関心を持っている世界のことについては、まじめに分析してちゃんとコメントしようと思ってるだけなんですが、「まぁまぁそこらへんにしておいてあげてよ」とか言われてしまうのです。身内の方々に。
そのサイトは知り合いが作ってるから面と向かって言いにくい、というのはわかります。別にそれをしろとは言いません。僕だってわざわざ喧嘩するようなことはしないです。でも、サイトを自分なりに分析して評価することまで「なあなあ」になっちゃまずいと思うんです。だって自分も関係者として、似たような事業を手がけたりする機会はあるわけで、そこで(分析していれば防げる類いの)同じ失敗を繰り返すのは問題ですよね。
業界との関わりが深いと、背景のあんなこんなの事情が見えるもので、それがなあなあ評価につながったりしますが、他の多くの人にとってはそんなこと知ったこっちゃない話です。ユーザーの視線は厳しいです。ダメだったらもう見向きもされない。業界全体の価値を決めるのはユーザーだから、むしろユーザーに近い目線の指摘はありがたいと思わないといけない。「**にしては頑張ったよねー」なんて関係者評価に慰められてる場合じゃないんです。それで少し元気が出ることはあっても、そこで満足しちゃったら終わりです。
僕はひとつの業界にのみどっぷりの生活ではないので、例えば日本語教育のWeb事業の場合、日本語教師側からの愚痴も、Web制作側からの愚痴も両方耳に入れています。双方の気持ちを踏まえつつ、同情する部分は同情して、でも努力して歩み寄りなさいなとも言います。どっちかがどっちかに過度に寄りかかるような、相手をリスペクト(っていう言い方好きじゃないけど)しない関係には賛同できません。
正論を言いすぎだ、とかもよく言われます。確かに正論を言うようにはしてますけど、言いっぱなしでは意味がないことも同じくらい意識しています。たとえ現実の解は正論から離れていたとしても、正論を意識しない解なんて魅力がないですよ。それに僕みたいな半分関係者の人が正論言わなかったら、それこそ関係者全員「なあなあワールドにどっぷり」じゃないですか。
現実はいろいろ厳しいし、現場に行ったら空気がどよーんとしてる。そこでしかめっ面して仕事してたって仕方ないです。ポジティブな意見をどうやったら得られるかを考えて、ポジティブな方向に事業を持っていくために何ができるかを考えて、辛いこともそれはそれで味わいながらやってくしかないじゃないですか。過度にいたわる空気の演出を僕に要求しないでくださいー(笑)