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人は見かけで判断したがるので、適時ひっくり返すようにしています

なぜか連続で、でぐちさんの記事に対して書いたりするわけですが。

人は見かけで判断されるので、印象のスタート地点について考えてみた。|ふにろぐ

ちょうど件のFacebookのコメントの流れも見ておりました。僕は特段でぐちさんを「いつもニコニコしていていい人そう」と思ったことはないのですが(悪い人そうと思っているわけでもありませんよw)、イメージと違う言動をしたときに印象が悪くなる、ということは僕も日頃思うことがありまして。

この数年は、初対面の人が先に僕のブログを読んでくれているケースが時々あるんですが、ひとしきり話をしたあと「ブログと違って実際はソフトなんですね」とか「もっと怖い人だと思ってました」とか言われることがあります。最初のころは驚きましたが、今ではあんまり気にしていません。ブログの文章は、実際に対面で話す場合に比べて相当に気を遣って書いていたりしますが、それでも印象をコントロールするのは難しいものだなぁと思います。

小学生のころ、ちょっと強引で荒っぽい友達がいて、そいつは挨拶のときも肩をバーンと叩いて威勢よく何か言ってきたりするわけです。その様子を見た担任の先生が「強く言えない性格の弱い者に対して、そういう態度を取るのはクズのやることだ」と叱ったことがありました。当時僕は、そこまでその友達の行動をひどいとは思っていなくて、悪ふざけ程度に捉えていましたが(もっとひどいイジメをするクズは、担任に見つかるようなヘマはしないし証拠も残さないものです)。

で、そのとき思ったのが「自分は周囲から『強く言えない性格』だと思われてるんだな」ということ。自分ではそこまで自覚がないのに。でも考えてみれば、これって損です。舐められる一方だし、発言権がないような扱いを受けかねない。なので僕はそれ以降、思ったことは意識的に口に出していくようにしました。真面目なこともアホなことも、硬いことも柔らかいことも、甘いことも厳しいことも。

それから20数年生きてきて思うのは、人というのは、少ない材料でその人のイメージを早々に決めてしまいがちだということ。たまたま批判的な発言を連続で聞いてしまうと、あっさり「怖い人」認定してしまったりする。イメージが固定化すると、その人の他の言動に例外要素があったとしても、それに気づかなくなってしまうところがある。決めてしまうと、それ以上考えなくていいので楽だからでしょうか。

そもそも、ほとんどの人とは大して長く時間を共有しないし、そこでの少ない材料でイメージを固定化されてしまうのも避けられない。だから限界はあるんですけど、印象を適時適度にひっくり返せるような、そういう言動ができる自分でいたいなぁとは思っています。あなたの思ってるように発言するとは限らないよ、という謎のイジワルな部分を持っていたい。それが、イメージとか気にしないで楽に発言できる自分でいるための、自分なりのやり方です。

あと、少なくとも自分は、誰かのイメージを簡単に固定化させないようにしよう、と思うようになりました。なるべくフラットに内容を捉えるというか、たとえ何が来ても変な驚き方をしないようにというか。決めつけられたくないなら、決めつけないようにしよう、というわけです。

こんなブログを書いていますが、実はいい人なので、どうぞよろしくお願いします。