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若者の学ぶ意欲は低下してないと思う

PCカンファレンスのセッションの中に「大学の情報教育に対する学生の学ぶ意欲の低下」というテーマがありました。セッション自体はいろんな人の声が聞けて面白かったのですが、個人的には「最近の学生は学ぶ意欲がない」なんて言い方はあまり好きじゃないんですよね。人間は基本的に「学びたい」という気持ちを今も昔も変わらず持ってる、というのが僕のスタンスです。その量が減ってきたとかは思いません。ただ「何を学びたいと思っているか」や「学びたい気持ちがどのように表出するか」は、社会や環境によって変化すると思うので、それが意欲の低下に見えるのでは、と思うわけです。

多くの人が大学に入学するような今の時代ですから、学問に魅力を感じて大学に来る人が全てではない、大学は行っておくものであって学問がどうとか関係ない、という大学生も少なくないんじゃないでしょうか。大学の教員は、学問に勤しむ学生のイメージを頭に描いて学生と接すると、そのイメージと現実の学生の姿のギャップにショックを受ける。まぁ、もう大部分は現実を実感してる(諦めてる?)でしょうけど、研究会で「学ぶ意欲」などというキーワードが出てくると、つい「学問に勤しむ学生」基準で考えたくなってしまうのではないかと。

教師として「学生は自発的・積極的に学んでもらいたい」と思うなら、学生の中に眠れる「学ぶ意欲」を引き出すような授業をするしかないでしょう。もちろんこれは大学だけでなく、例えば小中高の教育現場でそれぞれに頑張れって話ですよ。そして学校現場だけでなく、社会がそれをフォローしないといけないです。受験勉強とか資格試験対策とか、目先の実際的なリアリティーのある目的達成のための学びだけでなく、いわゆる学問的探究や、社会に生きるための学びもサポートしないとね。

以前テレビで大学生が「ゆとり世代って指さされると腹が立つ」って言ってましたが、確かに「自分たちは何もしてないのに、なぜかダメなやつら扱い」という実感はあるんじゃないでしょうか。それと同じだと思うんです。「学ぶ意欲が低下している若者」という表現も。教育者は、自分がどんな学習者の理想像を描いているかを自覚しないといけない。あ、理想を描いちゃいけないというわけではないですよ。理想を描くことは教育という思想の重要なパーツですからね。でも行き過ぎは禁物。

僕は、情報教育が扱う学びが、社会で生きていくこととどうリンクしているかが学生には見えにくい、ということが問題としてあるのかなと思ってます。学生が自身にとって意味があることに見えなければ、受験や資格というわかりやすい目的のあるものにより時間を割くことになるでしょう。これは逆に言えば、意味があること、関連があることが実感できれば、学生は学ぼうとするんじゃないかということです。

これは他の教科にも言えることだと思います。僕は高校時代、歴史の授業をなかなか面白いと感じることができませんでした。年号や名前を覚えることばかりが求められるように感じた試験が、歴史を学ぶことって何の意味があるんだ?という思いを強くさせたように今は思います。でも、例えばいまNHKの歴史番組を見たりして、歴史的事実に隠されている人の姿を感じて、歴史って面白いなと思っている自分がいるわけです。そういう自分の経験から、僕のこうした持論は組み立てられています。