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学ぶことを自ら選ぶということ

毎年、最後の授業での挨拶として、僕は学生にこんな話をします。

授業で学んだ知識的な細かいことは、卒業後忘れてしまっても別に構わない。でも、どんなことを学んだか、それの何が大事だと言われたのかは、できれば覚えていてほしい。これから何年後か、何十年後か、あるいはそういうときが一生訪れない人もいるかもしれないけれど、生き抜いていくなかで「このままじゃちょっとマズいな、ちょっと勉強した方がいいのかもしれない」と感じる瞬間があると思う。そのときは躊躇せずに勉強してほしい。方法はいくつもある。学校に行き直すのもいいし、本を買って読むのもいい。ネットだって、そのときはもっと便利になってると思う。僕はこの授業を担当するために、本を読んで勉強した。一度授業を受けているみんななら、当時ゼロから始めた僕より、これからゼロから始めるみんなのライバルより、少しはスムーズに学べると思う。確かに努力は必要。でもほとんどの人は、なんだかんだ言って努力をしない。だから努力をすれば、ほとんどの人よりもチャンスがあるところに行ける。いま勉強する気が起きないなら、しなくてもいい。気持ちがないと学べないから。でもその代わり、少しでもその気になったら、その時を逃さず、カッコつけず、堂々と一歩踏み出してほしい。得たチャンスをうまく生かせるかは、たぶん運もあると思う。でもチャンスは努力で得られるから、挑戦してほしい。

僕は学生より、たかだか10年ちょっとしか先を生きていないので、それより先のことをお説教しても説得力がありません。ただ、勉強しつづけること、僕なりに言えば「状況に応じて自分が変化することに柔軟であること」は、すごく大事だと思っています。学生のうちは・・という言い方は好きではないですが、一週間の大半を学校に通っている人と、仕事をしている人では、見える世界も違っていたりするし、感じることも違っていたりします。だから、学生のうちは気づかないこと、というのはあると思うし、先を見据えて学ぶことは難しいことだとも思います。だから、必要になったとき、そう感じたときには、すぐにスタートを切ってほしい。それに役立つ枠組みというか、考え方の部分を少しでも感じてもらうことが、学校で僕がいちばん教えたいことなのかもな、と自分では思っています。

僕は学校で授業を担当していますが、これからは「大学や専門学校で学ぶ」ことが「学びの方法のスタンダード」でなくなるのではないか、そうなったらいいのにな、と思っています。学校は学びたい人が学びたいときに行けばいいし、学校に行く以外の学びももっと普通になってほしい。Web業界ではセミナーや勉強会がいろいろと開かれていますが、教える側も教わる側も、まだまだ従来の学校教育的な、一斉講義型の学びのスタイルにとらわれている印象を受けます。もちろんそれも1つの良い方法です。でも、学びたい内容によっては、もっと良い方法もあるかもしれない。教師はもっと場に対してコミュニケーションを取ってもいい。学習者もただお客様的に座ってるんじゃなく、少しでも場の資源を有効に使えるように自分から動いたらいい。以前「勉強会にスイーツタイムがあってもいいじゃない」という記事でも書きましたが、自分たちがそこで何を学べるかは、自分たちがどんな環境を作るかで決まってくるところもあると思うのです。

僕の授業を受けた学生が、いつか思い立って、自分で学びの環境を選んだり作ったりしてくれることが、授業担当者としてのささやかな願いです。学んだ結果がその人の人生をどのように変えるのかはわかりません。思うようには結果が出ないこともあると思います。でも、自分でそれを選んだのだと思えば、誰か人のせいにするよりも悔いのない人生が送れるんじゃないかと思っています。少なくとも僕はそう考えて、そうしています。