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こじつけ力を養成する

もうずいぶん前のことだけど「Web業界の人ってほんとにWeb以外の本を読まないよねー」と言われたことがあった。僕に対する嫌みなのか、一般論なのか判然としなかったけれど。だからWebのことしかわからないんだよ、などと話は続いた。

唐突にそのことを思い出したので、僕のまわりの人たちのことを考えてみる。読書量というのは正直わからない人が大多数なのだけれど、本以外のものも含め「読んでいる活字の量」と考えると、みんなけっこう読んでるんじゃないだろうか。FacebookとかTwitterのタイムラインを見るに、けっこういろんなリソースに目を通してるんだなぁと感じることしきりだ。だから、活字から遠ざかっている人が圧倒的に多いとまでは思わない。じゃあ僕はどうなのかと言うと、たぶん友人の平均ほどはWeb上のアレコレを読んでいない。代わりに本を読んでるのかというと、まぁそれも微妙だなぁという程度の自覚はある。

オンラインで「業界の有名人」や「どんどん有名になっていく友人たち」のフィードを受け取っていれば、専門書として目を通しておくべき本のタイトルは勝手に上がってくる。気になるものはAmazonのウィッシュリストに登録して、大きめの本屋に寄ったときに片っ端から確認していく、というのが僕の書籍購入の流れ。ついでに他の本棚をうろうろして(ビジネス、デザイン、教育、プレゼン、スポーツ、料理あたりに立ち寄って)ごくまれに買ったりもするけど。だから他の人たちと読んでる本はたいして変わらないんじゃないだろうか。

ところで、冒頭の発言をした人は、ジャンルを問わずいろんなことをよく知っているな、と感じさせる人だった。でもそれを掘り下げて考えてみると、単に知識量が多いというより、情報の芯をつかむのがうまいから守備範囲が広いというか、情報同士がパッと引き出せる形でつながっている感じを受ける。話題への反応も速いし、どんどん展開もしていくから、必然的に話していると面白い。僕もそういう感じになりたいなぁと(漠然とだけれど)思いながら過ごしてきた。

いまの時点で何となく思うのは「ものごとは関係ないと思った時点から関係なくなっていく」ということ。何かと何かの間には関係が事実としてあるのではなく、関係があるのでは?と思って見いだそうとするから関係がある(ように見える)のであって、関係ないと思ったらそれ以上は関係を感じられない。そんなふうに考えている。言うなれば「こじつけ力」が高い人は、同じものを見聞きしていても、あとで価値ある形で引き出せるような情報のストックの仕方をしている、みたいな。

自分の職域、専門領域の棚に配置されるような本、Facebookで「いいね!」がたくさん付いてるポストや、レコメンド系のサービスが提供してくれるような情報って、目にした時点で自分との関連性の高さに気づける、その価値を理解するのに時間がかからないものが多い。それはそれで重要な情報なんだけれど、それだけを見ていては「こじつけ力」は付かない。かといって、あてもなく本棚をさまよって良書に出会うのは大変ではあるので、その間がほしいところ。

その意味では、僕はTwitterをすごく気に入っている。フォローする人を自分で選んではいるとはいえ、Facebookほど整然とすることはなく、様々なツイートでタイムラインはカオスになる。まぁ、Twitterだけに頼ってても足りないだろうから、他の方法も模索しつつ、意識だけは「消化するのに楽な情報」に寄りきらないように、とは思っている今日このごろ。