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デザインの値段

「無報酬デザイナーを募集して何が悪い?」

デザイナーと呼ばれる人はそうじゃないのかもしれないが、普通の人が日常の中で「このデザインはすばらしい」とか「これはデザインのおかげ」などと感じることって、実際にはそれほど多くないと思う。デザインという言葉の意味ひとつとっても、一般には「見た目をきれいに整える」といった装飾的な側面のみを指すと考える人が多い。いや、デザイナーにだって、大して変わらないような認識の人も相当数いると思う。

普段からそうなのだから、発注者が「これから発注しようとするものが、自分や自分の事業や顧客にどんな影響を与えるのか、そのプラス面、あるいはマイナス面は何か」を発注前にしっかりと想像するのは難しいだろう。想像が難しいのだから、その対価、すなわち「いくらお金を払うべきなのか」を見積もるのも難しいと考えるのが自然だ。

考えるのが難しいなか、発注者が考えて提示した金額は、発注側の事情と組み合わさった、発注側の「デザインの価値」が反映されたものだろう。それに対してデザイナーが「それは正当な評価ではない」と噛みつくのは(デザイナーの気持ちはわかるけれど)お門違いだ。業界の基準や相場を考慮しろと迫ったところで、たとえ金額は再提示されても、発注者側の「デザインの価値」に対する理解は深まるわけではない。それは継続的な取り組みにはなりにくいだろうと思う。

デザインの価値が十分に認識されない理由は、価値を感じさせるに足るものが少ないというのもあるが、当たり前に存在してるからその恩恵が意識されにくい、というのもあると思う。サッカーにたとえると、観客は良い試合では選手のプレーに夢中になり、それを下支えする審判の質は意識に上らない。逆に、イライラする試合では審判がやり玉に挙げられる。実際、問題に遭遇してはじめてデザインの存在を意識する、ということの方がむしろ多いのではないか。

すべての価値は客観的な数値によって理路整然と説明されるべき、とはさすがに思わない。でも、判断基準となるような考え方や事例を示さず、十分な説明もせず、発注者側を「そういうものです」で都合よく押し切るような怠慢さが、デザイナー側にはないだろうか。発注者を含めた世の中の人たちに、デザインの価値を説くことを十分にしているだろうか。

と、一連の騒動で、そんなことを改めて考えた。僕はちょっとずつでも、やることやっていこうと思う。