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自分がない、という感覚

裏方の自己紹介: 心のうち

上の記事にあるような「自分の存在感を示すこと」については、僕は高校での教育実習のときからよく考えるようになった。実習生の段階ですでに、自身の存在感を出す形で前に出て行くのが得意な教師と、できるだけ存在を消そうとするかのように隅っこに佇む教師とが分かれていたように思う。現場にはいろんなタイプの人がいればいいと思うし、友人たちを見てもスタイルは様々だけど、僕は後者が性に合っているタイプだと自分では思ってる。

ただ、普段は前に出なくても、ここは自分が目立つ形で関わらないと後で困りそうだな、という局面は授業や現場の流れの中で出てくるので、そういうときはもちろん前に出る。普段口を開かない人が発言するとインパクトがあって効果的かもなぁとか、ここは怒った振りでもしてみるかとか、この現場では嫌われ役を引き受けるべきだなぁとか、そんなことを考えながら。

大切なのは、自分がその場でどうあるべきかを意識すること。そして必要な役回りを演じること。自分のタイプとかけ離れたキャラは難しいものだけど、今回はそういうお芝居をやるのだからと思えば、少なくとも「やること」には抵抗がなくなる。求められる結果を出す演じ方については、その場になって慌てたところで仕方なくて、日々そのスキルを磨いていくしかない。あまりに自分に不向きな役を要求されないような場を選ぶ、そういう場に持っていくこともリスクマネージメントのひとつかもしれない。こういう発想は、お芝居をやっていた経験が生きているのかも。

とあるアーティストの友人に「君はアーティスト向きの人間じゃないね」と言われたことがあった。なんで?と聞いたら「個性とか、こだわりとか、自分の色みたいなものがハッキリしないから」だと。確かにそうかも。少なくともプロダクト制作において、自分の中から湧き上がるようなものって、あまりないなぁと思う。クライアントというか相手が設定されれば、やりたいことが見えてくるけれど。そのへんは、松永真さんの「スタイルを持ったらデザイナーはおしまい」という言葉を当てはめて、じゃあデザイナーには向いているということだよね、と都合良く納得している。

僕が普段あれこれ言及しているプレゼンにしても、どうも「自身がスターになる」的アプローチが前提のような指南書が、世の中に極端に多いように思う。自信なさげのマイナスオーラを振りまくのが良いとは言わないけど、何もオバマ大統領やスティーブ・ジョブズみたいなやり方が万人に向いているようには思わない。そのアンチテーゼ的な意味も込めて「大切なのはコンテンツで、自分はその案内役なんだ、くらいの意識でやるのでいいよ」というのが僕のプレゼンの授業のコンセプト。

なんというか「他人に示せる自分がない」という意識は、ダメな自分を象徴しているように感じて、ときにすごく辛く感じたりもする。それは、周りからどうフォローされようと自分の感覚なので、解決には至らない。まぁ仕方ないよねと、ちゃんと認めて付き合っていくしかないんだよね。教育とかデザインとかプレゼンとかを手がけて学んだ一番大きなことのひとつは、それかもなぁと思うのでした。