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iPadは僕らにバトンを渡した

世間に遅れること1週間、心斎橋アップルストアでiPadをさわってきました。入り口付近に20枚くらいのiPadが用意され、ほぼどれもが使われてる状態でしたが、象徴的だったのが店内の人の偏り。他の端末(MacBookとかiMacとかiPod)付近には誰もいないんですよね。iPad一極集中。道路挟んで向かいのクリスピードーナツの列に負けないくらいの混み具合でしたね。

で、iPad。実際に使ってみて改めて「これはすごいなぁ」と思いました。購入というか予約すらまだしてない状況で語るのもアレですが、いろいろと感じたことを書きます。

でかいiPhoneなどと形容されるiPad。まぁ確かに見た目はそうですが、使用感はiPhoneとはずいぶん違う印象でした。僕がiPhone3Gを使っていて普段の動作にもっさり感を感じてるから余計なのでしょうが、操作に対する反応がきびきびしていて、しかもそれが大画面でダイナミックに展開されるので、操作のスタイルこそ同じでも「これは別物だな」と感じました。カーレースゲームなんかも、iPhoneにも同種のアプリがありますが、気持ちよさのスケールが違います。やっていて、iPhoneを思い出すようなことはなかったですね。

アプリもいくつか操作してみました。動きの気持ちよさを特に体感できるのは、写真アプリと地図アプリ。大きいだけでこんなにワクワク感が増すんだなぁと。画面上に余計なメニューとかが極力出ないようになっているので、画面いっぱいにコンテンツの魅力を味わえます。画面の大きさを生かすという点では、前述のゲームやYouTubeも気持ちがいいですね。

続いてNumbersやKeynoteもテスト。が、すごく使いやすいという前情報ほどというか、上記アプリの気持ちよさを体感した後では、どうしてもタッチ部分の小ささや操作のトリッキーさが強く感じられて、慣れが必要だなと感じました。キーボードも「慣れれば使えるのかもしれない」という感じ。楽しさや快適さに驚くというものではありませんでした。

これは「だからiPadはダメだ」ということではなく、iPadという今までにない操作感を持ったハードウェアだからこそ、アプリのインターフェースがしっかりと作り込まれていなければ、操作のストレスをより強く感じがちなんじゃないか、ということです。ポインティングデバイスがマウスから指先に変わったという単純な認識でインターフェースを作っていては、間違いなくストレスの増えるアプリになる気がします。例えば、指での操作はマウスよりもドラッグやプレスをしがちなのでは?とか思いました。僕がそうしちゃうだけなんですけど。iPadアプリはインターフェースが隠れることが多いようなので、隠れたものを探すためにあちこち指を這わすことになり、これも度が過ぎるとイライラするかな、とか。現時点でのタッチパネルは触感がないですからね。

そういう点で、iWorkをはじめとする多くのアプリのインターフェースはまだまだ発展途上ですし、iPad自体もまたそうなのではないかと思います。もちろん、現時点でも評価できるレベルで、価値あるチャレンジというのは前提なのですが。

そんなこともあって、iPadがノート型Macを置き換えるという実感は、まだ持てませんでした。慣れていけばiPadでやれることも広がるのかもしれませんが、僕としてはMacBook Airもほしくなりました。iPadを手にとってからは、MacBookが余計に重く感じます。もちろん性能や画面の大きさなどとのトレードオフですが、モバイル端末としての活用も考えるのなら、可能なかぎり軽く薄くスマートにという欲望が強くなってしまいました。iPadの登場でMacBook Airのラインナップが消えてしまうのか、間近に迫ったWWDCまで待とうと思いますが。

今日の実感としては、iPadでノート型Macと同じことをやろうとしてストレスを抱えるより、iPadではできるだけシンプルで気持ちのいいことをするのに徹したいな、と思います。写真、ビデオ、音楽、サイト閲覧。メールも長文は書きたくない。スケジュールもメモ書き程度。iWorkも、イチから作るんじゃなく修正程度に使う感じ。スライドはMacで作って、会場でプレゼンするのはiPadで、というスタイル。iPadはとにかく快適を追求したい。

制作者の立場から言うと、今までITが苦手だった人で、iPadの購入をきっかけに、気楽なスタイルでブラウジングやアプリを楽しむ人が相当数生まれたわけです。そういう人たちは、他の既存端末でのブラウジングやアプリ体験とiPadでのそれを比較して評価などしないでしょう。こういうのはマウスの方が操作しやすいよな、とか考えない。iPadに最適化されていないサイトはiPhoneやMacで見ようなんて、よもや思わない。ダメなものはダメで、二度と見ないし使わないでしょう。

逆に、iPadで素敵な体験を提供できるサイトやアプリは、これまでITに縁遠かった人たちの支持も集めることができ、今までにない結果、一発逆転勝利に持ち込むこともできるんじゃないでしょうか。これは大きなチャンスですよね。ケータイに新しいビジネスが生まれたように、WiiやDSが新しいゲーム市場を開拓したように、iPadを軸にした新しい世界の展開だって起こりうる。例えば教育業界とか、ガラケーどっぷりのおばちゃんの世界とかを変える可能性があると僕は思ってます。

PC、マウス、ブラウザ、Windows(あるいはMacも)という環境が持つ不自由さは、単体のアプリやサイトでは超えられないものでした。ITに馴染めない人たちのいくらかは、そこでつまずいていたのではないかと思います。そこにやってきたiPad。それがベストではなくとも、全く別の環境が用意されたわけです。iPhoneはその環境をすでに実現していたように見えますが、iPhoneはあくまで個人の先進的なツール。iPadのサイズは、操作している人以外の周囲の人も巻き込むという大きな特徴があります。アップルストアで見た、操作の様子を友達がつっこむ姿。iPadを囲んで話が盛り上がる様子。これはiPhoneでは実現できないことです。

そして重要なのは、iPadが提供したのは新しい「環境」だけだということ。体験全体でいえば、環境はその半分。もう半分は、その環境を生かしたサイトやアプリが担う。僕ら制作者は、iPadの力を借りて、素敵な体験を「the rest of us」にも届けていかないといけない。その鍵はインターフェースにあると思うんですよね。インターフェースが快適であること、気持ちが良いということの重要性を、iPadは発展途上ながらも教えてくれている。制作者にも、ユーザーにも。

iPadを買った人は、アプリや電子書籍リーダーを買ったんじゃない。iPadが持つ「具体的な姿はないけど何かワクワクさせられる感じ」を買ったんです。希望や期待に投資したと言ってもいい。それに応え、ワクワクの姿を形作るのは、僕ら制作者じゃないかと思います。

iPadは世界を変えてはいません。世界はみんなの意志で作っていくもの。iPadは、先頭集団から一歩抜け出て僕らにバトンを渡したんです。僕らはそのバトンをしっかりと受け取って、前に向かって走り出さないといけない。その先に何があるのか、みんなが注目している。もちろん僕ら自身も含めて。