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インフラとしてのITを教員レベルで考えるべき時代

この数年、教育現場でのIT活用みたいなテーマで話す機会があるとき、僕が繰り返し言っているのが「ITは学習者を強くした」というフレーズ。ここでいうITとは、スマホ・ネット・アプリといったもの。学習者が身近な形でITを活用できるようになったことで、教室に行かなくても学べる可能性が飛躍的に高まった。何かを勉強したいならまず学校を探す、みたいな思考が当たり前ではなくなっていて、まずはスマホの学習アプリを探したりすることが多い。そっちの方が手軽で始めやすいし。

この状況を「学習者を強くした」と表現するのはなぜか。学びの選択肢が「教室に通う」しかなかった時代には、いろいろな面で「教師や学校の都合に学習者が合わせる」のが当たり前で、その意味で学習者の立場は弱かった。それが「学校や教師も選択肢のひとつでしかない」と言えるような状況になったのなら、これはもう「学習者は強くなった」と考えていいだろうと。

逆に言えば、相対的に「教室は弱くなった」ということでもある。これからは、教室を選ばない学習者が増えていく。もう少し正確に言うと、今まで「仕方なく教室を選んでいた学習者」や「他の選択肢を考えもしなかった学習者」が教室に来なくなるだろう、ということ。

学習者の選択肢が増えることは、学習者にはもちろん良いこと。でも学校や、教室に紐付けられる形で生計を立てている教師にとっては、手放しで喜べないところがある。これからの教室は、教室ならではの価値をもっと強く学習者に訴求していかないと、学習者は離れていくだろう。運営側の効率を優先しただけの一斉講義形式なんて、学習者が無条件に受け入れてくれる時代ではもはやない。スマホのアプリなら自分のスタイルで勉強ができると知った人が、なぜ教室に集められてみんな同じことをさせられなきゃいけないのか?と考えるのは、実に自然なことだろうから。

ところで、ITは学習者だけでなく教師個人を強くした側面もある。学校などの組織の上司に相談しなくても、担当教師が自前のパソコンやスマホで導入できるツール、そんな手軽さを備えつつも授業を大きく変えるようなサービスが、数多く出てきた。それが個々の教師の教育の可能性を高めることになっている。僕も知り合いの教師から「授業で使えそうなオススメのアプリやサービスがあったら教えてください」と聞かれることは多いので、ITを使って授業をよくしていこうという意識は(まだ「教師の間で広がってきている」というレベルなのが悲しいが)感じられる。

ただ、いま考えるべきは、その次のフェーズだろう。教師も学習者もITを「個人レベルで」活用できることが前提となったときは、IT面ではいわば横並び。そんな状況で、学校教師が職業として生計を立てるに十分なほど、教室の存在価値を学習者にアピールできるのか。ちょっと無料アプリを使う程度の活動が、教室の魅力として映るのかどうか・・その程度じゃ足りないんじゃないの?と僕は考えている。

教室の価値を、例えば「対面ならではの価値ある体験」や「学習者ごとのトータルの学習マネージメント」に求めるとするなら、教師はそこに本気でリソースを投じていかなければならない。教師の持ち時間は、学習者との対面の時間の質を上げるために使う。同時に、対面の必要がない活動は、コストを徹底的に削減する必要がある。学習マネージメントも、根性論や人海戦術ではなく、デジタルで自動化していく必要がある。そうしないと、教師は時間と体がいくつあっても足りない。

こういう、いわば業務インフラを効率良くして全体の質を上げるのって、教師個人がそれぞれ好き勝手にやるのでは意味がない。教師が個人として効率化の努力をするのは前提で、それにプラスして、教師全員が足並みを揃えてやる、学校全体で取り組む、そういう種類のもの。そこまでやってはじめて、学習者は学校や教室に対して「学習環境として充実している」感を抱いてくれるのだろうと思う。

僕の教育現場での最初の仕事は教師のサポート役だったが、教科書から語彙をピックアップして語彙リストや語彙カードを作る作業をしているとき、本当に無駄が多い仕事だなぁと感じていた。こんなの出版社が語彙データをExcelファイルか何かで提供してくれれば、手入力する必要なんてない。教師間で教材用のデータを共有すれば、面倒な作業は誰かが一度やれば(あるいは手分けしてやれば)済む。それなのに実際は、全国で同じような作業をしている教師がたくさんいるどころか、同じ教育機関内ですら教材の共有という発想がなく、それぞれの教師が独自にコツコツとやってたりする。こういうの、探せば結構あるんじゃないだろうか。

授業で使えるアプリやサービスが数多く出てきているとはいえ、学習者にインストールを気軽に勧められるのは無料のアプリに限るというのが現実だろう。1つの授業のためだけに、教師と学習者が同じサービスに登録するというのは効率が悪い。それ以前に、教室にプロジェクターや無線LANもないような状況では、やれることが大幅に制限される。ITに詳しい教師が自分の授業だけで孤軍奮闘していても、学習に与えられる影響は大きくならないし、関係者の手間ばかりが増えてしまう。僕なら、そういうインフラのない現場ではチャレンジしたくないし、そもそも働きたくない。

こういう話を学会などですると、インフラ整備は教務主任や経営者の仕事なので・・と言われたりするけど、上が現場のことをわかってなくて動けていないなら、現場が提案しないと変えられないだろう。現場が変わらないなら、教師や教室の対外的な価値が落ちていき、それは結局自分たちの待遇に響いてくる。

無料のアプリじゃないと使えない・・なんて言わずに、有料でも効果が大きいものは学校全体で導入してもらうよう提案したらいい。それはお金を払うほど効果があるツールなのか?自分たちが普段抱えている無駄なコストやストレスは何なのか?そうした判断には経営的な観点だって必要になるが、日本語教師はそういう「何でも屋」的なスキルが求められる職業だろう。安定した制度と環境の中で自分の授業だけ見ていればいい仕事ではない。日本語学校は小さな組織だからこそ、中から変えていきやすいし、組織単位で変わらないと業界全体が窮地に陥りやすいと僕は考える。

自身の担当授業の枠を超えて、学習者に何ができるか、組織や業界として何ができるか。そういう方面の意識や努力が、いまのIT活用に必要なんじゃないだろうか。