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フリーランス11年目を終えて思うこと

先週、無事に確定申告も終えて、気がつけばフリーランスとしての毎日も12年目に入ろうとしています。僕はフルタイムで会社勤務をしたことがないので、独立したとかいう感覚はまったくなく、フリーランス歴=仕事歴なのですが。

そう言えば初年度の申告のときは、申告相談の会場のおっちゃんから「そんな収入で大丈夫か?」と心配され「大丈夫だ、問題ない」と答えたものでした。あれから11年。(収入が)おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。

Web業界では特にめずらしくない「フリーランス」という働き方ですが、僕がよく出入りする日本語教育・情報教育の業界の人たちには、わりと驚かれます。そんな仕事の仕方でよくやっていけてるね、と言われたりもします。複数の教育機関で非常勤講師を掛け持ちする人たちも多いのに、フリーランスの何がそんなに特殊なのかよくわかりませんが・・・。ただ、仕事の依頼が10年続いてるという点については、ラッキーだなぁと思っています。

「教師と技術者とをつなぐ役割をする人が重要で、その役割は自分に向いている。」

今の仕事を本格的に始めるときにそう考えたことは、見立てとして間違っていなかったですし、それなりの仕事はやってきたと思っています。自分が得た知見も、可能なかぎり業界にシェアしてきたつもりです。たとえば学会発表などは60本以上やってきましたし、ブログも(最近はなかなか書けていませんが)ずっと続けてきました。

そうした結果も、いろんな人たちからの依頼あってのことであり、もちろんそこは感謝しかないのですが、同時に「このままでは埒が明かないなぁ」という気持ちも年々強くなってきています。

世の中は急速に変化していて、学習者を取り巻く環境も、学びに対する感覚も大きく変わりつつあります。それなのに、教育業界の大部分では依然として同じような議論が循環しているだけです。質や効率をきちんと問うような取り組みも十分に進んでいません。知見はその現場単位だけにとどまり、うまく全体に広がっていきません。あちこちで同じようなプロジェクトが立ち上がって、予想通り同じところでつまずくの繰り返し。教育の質の向上が、世の中の変化にまるでついていけていない。そのことに危機感と無力感を覚えます。

先日の講演でも話しましたが、近い将来、現状の教育の大半を置き換えていくのはテクノロジーでしょう。当然、そこに従事していた人たちの仕事は奪われることになります。

教育のすべてがテクノロジーによってまかなわれ、それですべての学習者がハッピーになるならそれでもよいのですが、実際はそう簡単ではないでしょう。世界中の知を集約しようとするGoogle先生がいても、人生の悩みのすべてが解決されるわけではありません。人が学びを担うことの価値は残るでしょうが、その時にそれを担えるだけの知見や人材が、果たして教育業界に残っているのかどうか。

僕個人の仕事がなくなるかもしれない、というのも大きいですが、何よりそんな壊滅的な教育の未来は見たくありません。目の前の現場、目の前のプロジェクトに真摯に取り組む一方で、その現場の外に、そのプロジェクトの外に、取り組みの成果をいかに効率良く広げていくかも、同時に考えるべき時代なんだろうと思います。

これまでの10年ちょっとを振り返ったところで、次の10年を・・というのはスパンとして長すぎる気もします。次の5年、あるいは次の3年を区切りに振り返っても何か言えるような、目に見える成果を出したいですね。そしてその結果として、1年1年が個人としても食いつなげるようであればいいなと思っています。