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e-Learning開発と「誰がどうなれば(私は)ハッピーなのか」の視点

先日の講演で使ったキーワードに「誰がどうなれば(私は)ハッピーなのか」というのがあるのですが、特に印象に残るものだったのか、いくつか反響がありました。僕の中でも大きなキーワードなので結構「してやったり」な嬉しい結果なのですが、スライドだけでは(そしてあの講演だけでは)意味をつかみにくいところもあるので、いま僕が思ってることをメモ代わりに書いておくことにします。

講演では「とにかく無料Webサービスを使ってみましょう」とか「ブログに親しもう・活用しよう」とかいった話をしました。例えば、Webサイトを使ったe-Learningを開発する場合、Webの特性を生かしたものを作れるといいと僕は考えています。そのためには当然、開発側がWebの特性を理解していることが重要で、そのためのトレーニングとして、Webサービスを使う経験をすることが大事だと思います。

日本語でケアナビの開発で苦労したことのひとつに、開発に関わる教師を「Webの特性を理解している状態」にいかに持っていくか、ということがありました。WebのことはWeb開発のプロがわかっていればOKだ、とは僕は考えていません。Webをメディアとした学習をデザインするには、学習のプロである教師の目も不可欠だと思うからです。

理解すべきWebの特性と言ってもいろいろな側面があるかと思いますが、教師が苦手としていると僕が勝手に感じるのは、学習者の視点、ユーザーの視点でWebを見るということ。例えば、mixiやYouTubeの魅力、Webの分かりやすいところと分かりにくいところ、自分の生活の中でのWebの位置づけ、などなど。教師が完全に学習者の気持ちになることはできないにしても、少しでも感覚を重ねていくためには、ユーザーになって経験することが大事です。

「誰がどうなれば(私は)ハッピーなのか」を考えることは、そういうユーザー視点を具体的にイメージするという意味があります。それは、開発側である教師にとって都合のいい抽象的なユーザー象を描かないでね、ということでもあります。ユーザーが使う気になるか、使いたいように使えるか、使うことでうまく利益が得られるか。そこをシビアに考えていく。観察やインタビューを判断材料にすることも大事です。「これぐらいのものを与えてれば勉強するだろう」とか「あれもこれもある方が便利」みたいな高を括ったものづくりは、まず成功しないですから。

で、実はこれは前提というか本題の半分だけで、残りの半分は「e-Learning開発を事業としてきちんと考えていきましょう」ということです。

教師たるもの、学習者の学習をいちばんに考えていきましょう、というのはある意味ストレートな提案です。でも、e-Learningを事業として考える場合、学習者がハッピーだったらそれでいい、とは簡単に言えなかったりしますよね。直接的には学習のサポートが目的であっても、コース運営側の本音としては出席率の低下を防ぐ狙いがあるとか。あるいは、学校的には来年度の受検者数を増やしたいとか。業界にインパクトのある事業を打ち出してブランドを形成したいとか。そういう複数の「こうなればハッピー」な事情があることも多いのではないでしょうか。

事業ならば、予算をゲットするための説明も必要ですし、後日の成果の報告や評価がつきもの。学習者の役には立ってると思うけど、それを証明するとなるとなぁ・・・では、せっかく苦労しても価値を認めてもらえないし、開発後の運営もままならなくなりかねません。サイトって本などと違って、サーバーから消されたその時点で全て終わりですからね。

だから、学習者だけでなく事業のステークホルダーも意識する必要があって、あらかじめ「これはどう評価されるべきなのか」を考えて計画することも重要だということです。具体的には、アクセスログを解析する、ユーザーにアンケートやインタビューを行う、研究に仕立てて学会発表や論文を書く、といったあたりが行動としてありますよね。逆に言えば、そういうことをしやすい設計にする必要があるということです。アクセスログを記録する仕組みを実装し、解析の費用を予算の中に確保しておくとか。

複数の「ハッピー」を達成するためには、いろんな現実的折り合いをつける必要が出てくるでしょう。ユーザーである学習者を一番に考えたモノづくりができればいいですけどね。たとえそれが難しくても、折り合いのつけ方、どこまでは頑張れてどこは譲ったかを、開発側は明確にしておくことが大切だと思います。そうすれば、頑張れなかった部分を次はどうクリアしていくかを考えることができますし。

「誰がどうなれば(私は)ハッピーなのか」を考えることは、教育者としての立場、事業の担い手としての立場、運用まで考えて事業の継続に尽力する立場として、複数の本音の理想像をイメージしていくこと、そしてそれを現実的な解にまとめていくことだと思うのです。僕の経験上、その部分はとても難しいと感じます。結果を出しているプロジェクトというのは、そこをうまくやっている。これも立派な「デザイン」の領域じゃないでしょうか。

ちなみにこれは余談ですが、e-Learningの学会発表を聞いていて個人的に気になるのは、そういう折り合いをどのようにつけたかを隠して、良いところだけを声高に主張するケース。ブログとかSNSを教育に使っている例を最近よく見かけますが、学校やカリキュラムの実績になってるって言うけど、それってほんとに学習者に役に立ってるの?と思うこともしばしば。で、そこを質問したら、結構きつく反論されたりはぐらかされたりするわけです。

当人は折り合いをつけたことをちゃんと自覚しているが、学校の事情として弱いところを見せられない。たとえそんなあたりだとしても、そういう見せかけの成功事例の紹介は、聴き手の問題解決にストレートにつながらない気がします。逆に失敗事例から学べることも多いはずなんですよね。なぜ上手くいったのか?なぜ失敗したのか?そのノウハウをシェアして問題解決をする場があってほしいと思うんですよね。学会ってそんなもんだよっていう、いつもの話なのかもしれませんけど。

昔読んだ雑誌で、とあるWebディレクターが言ってたんですよね。誰かの仕事を見て、上手くいってないとこをあげつらって「あれはダメだね」と言うのは簡単。でもそもそもクライアントワークで全て自分の思い通りにやれるケースなんてないんだから、上手くいってる部分は評価しつつ、上手くいってない部分を「どうしてここが上手くやれなかったのか」と分析して、自分だったらどうやれるかを考えるべき。それをしないで偉そうにダメ出ししてるヤツは、自分がその立場に立たされてもそれ以上のものは作れない、と。

僕はその言葉を目にして、自分のことをいろいろ反省するとともに、評価を単純に一色で考えないようにしようと思いました。世間の評価が何であったにしても、すべては自分に置き換えて学びの素材にすることが大事、というか。