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デザインとは得体のしれないもの

なんか昔は僕もこういうこと考えてたなぁ、と思い出しましたよ。

Webデザインに”デザインセンス”は必要か? « takashi178.me

デザインセンスの要不要を問う主題でありながら、デザインセンスの定義が明示されていない、とはこれいかに。見たところ、理詰めとは対極にあるもの、得体のしれない感覚的なもの、というのが筆者のイメージする「デザインセンス」といったところでしょうか。

また、冒頭に「Webデザインにデザインセンスは必要ない」と述べて、最後には「経験量がモノをいう世界」としているところから考えると、理論を学び具体例を多く見て形にする技術を身に付けていけば良い、という考え方なのかなぁと。この流れの中に「センス」は介在しないということですから、センスは先天的な才能というニュアンスもあるのかもしれませんね。

んー、主題をちゃぶ台返しするようでアレなのですが、何がセンスだとか、センスが必要かどうかとかって、一般論として決めることに大した意味はないんじゃないかと思うのです。

素晴らしいデザインに出会ったとして、「自分もあんなふうにデザインができるようになりたい」と思ったのなら、努力するしかないですよね。デザインは理論だけでできるのか?先天的な感覚が不可欠なのか?とか難しいこと考えず、ひたすら自分を磨いていくしかない。どうやったら磨いていけるのかは、いろんな人が言ってますよね。良いものをたくさん見ようとか、分析・研究しようとか、理論を学ぼうとか、とにかく作ることだとか。

よく「私にはセンスがないから・・」と言う人がいます。そういう感覚を持っていないから無理だと考えてる、というくらいの意味だと思いますが、それが理由になるなら、さっさと諦めればいいと思います。デザインのレベルを上げていくうえで才能が必要かどうか、そんなの誰にもわかりませんし、どのみちできることは努力しかないでしょ。才能は後から手に入れられないのだから。

デザインがどう評価されるかは、デザインそのものの価値で決まるはずです。頑張ったからとか、センスで「なんとなく」作られてるからとか、隙なく理詰めで作られてるからとか、そういう作り手の背景は別に問題じゃないでしょう。10秒で作ったものが10年かけて作られたものより高い評価を得る場合もあるでしょうし、素人が作ったものがプロより評価されることだって、ないわけじゃない。とはいえ「たまに良いものが生まれます」なんて偶然に頼るわけにもいかないから、理論や手法を使って自分を(良いデザインができる自分に)変えていくんじゃないでしょうか。

だいたい、理論で片づけられないことって、いくらでもありますよね。感覚を理解したい、解き明かしたいと思って、その手段として理論を用いているのに、理論がすべてだと言ってしまったら本末転倒じゃないでしょうか。確かに「得体のしれないモノ」かもしれないけど、僕らはそこに近づこうとしてもがいているわけだから、それじゃセンスさんに失礼です。

あと、他人から見たら「あれは生まれ持っての才能だな」なんて評されるスキルも、本人にとっては「努力して磨いた結果」だったりすることもあるでしょうし、自分では意識してないけど自然と経験が蓄積されてそうなった、みたいなこともあるはず。わからない自分から見たら、人のものは何でも「得体のしれないモノ」なんじゃないですかね。

件の記事の狙いが「センスがないと諦めないで、理論を学んで経験を積めば大丈夫だよ」という初学者へのメッセージ、あるいはくじけそうな自分自身を励ますためとかなら、あえて「デザインにデザインセンスは必要ない」と言いきってしまうのもアリかなと思います。でも、デザインだって結局は、言葉にできないもの、人によって違うもの、得体のしれないものの魅力に、たどり着くものなんじゃないかと思います。