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人生は偶然が9割

一部界隈では、親ガチャ、配属ガチャ、上司ガチャといった言葉が流行っていますが、自分のこれまでを振り返ると、何事も運要素というか「たまたま」が占める部分は大きいな、と感じます。

自分の場合、日本語教育を勉強したいなと思って受験大学は選びましたが、入試科目や試験内容が自分にとって超有利だったから合格したようなものだし、大学で本当に良い人たちに出会えたのも、もちろん狙ってできるようなことではありません。本当にラッキーだったなと思います。

在学中は広告や編集の仕事に興味を持つようになり、出版業界への就職活動を途中で辞めて大学院に進んだのも、その大学院も2年で辞めて日本語教育業界から離脱したのも、専門学校を卒業しても制作会社には就職しなかったのも、周囲から見れば謎の進路でしょうし、かといって、本人に深い考えや強い信念があっての決断でも(今思えば)ありませんでした。そういうルートを辿ったから出会えた気がする面白いことはたくさんありますし、別のルートだときっとまた別の何かがあったのでしょう。

介護現場の日本語教育教材を作りはじめて15年くらい経ちますが、元々自分に介護分野に関する専門性などあるわけもなく、たまたま職場で相談されて手がけた1つの仕事がつながってつながって今に至っています。大学や専門学校で教える仕事も、最初は「WordやExcelを教えられる人を探してる」だったのが、そこから続く依頼は、プレゼンテーション、飲食店経営、知的財産と人、ICT活用人材の育成といったものになりました。打診されたときは、「そのテーマでやるの、素人の僕でなくても難しすぎません?」みたいな授業なんですが、今やそれなりに守備範囲に収まっています。

予想だにしない展開だから、そのために何か準備してきたわけでもないし、入念に下見して選んだわけでもない。結果を見て「ある程度うまくいったと評価できるもの」にも、やっぱり運がよかった部分はいろいろあるわけです。逆に「うまくいかなったもの」にも、言ってしまえば運要素はあります。コロナ禍で事業計画自体が吹っ飛んでしまったものとかね。そういうことは表立って語られないことが多いですが。

なので「人生は偶然が9割」みたいな表現が自分には合っていて、それは表現を変えれば「ガチャ」のように見えるかもしれません。ただ、人生はリセマラできないというか、ガチャの結果を受け止めてプレイを続けていかなければならないので、その「偶然・たまたま」とどう向き合っていくかを考えるほうがいいなと思っています。

では「9割が偶然ならば、残りの1割は何か主体的に選べる、コントロールできるものなのか」というと、何かやりたいこと、向かいたい方向があるのであれば、「機会を得たときに備えて、今できることをやり、したことを周りに知らせる」ということなのかもしれません。最初から最後まで自分で全部手掛けられるようなものであれば、単純に自分がやればいいだけのことです。そうでなく、誰かから機会を与えられないとできないことであれば、自分でできる範囲のことをやって、それを他の人が見える場所に置いておき、機会を与えられたらやれますよ!とアピールしておくしかない。それで誰かから機会が与えられるかどうかは、やっぱり運要素が絡むわけですが。

僕自身はというと、あまり「やりたいこと・向かいたい方向」がないタイプなので、そんなに意識的に実績アピールをしてきた自覚はないですが、自分がやったことが「第三者が見える形」になっていないと、それを誰かが「偶然・たまたま」目にして声をかける、ということも起こらないわけです。そう考えると、自分がやれることをやって残していく、という以外にないのだろうと思っています。

・・・とまぁ、偉そうに書いておきながら、これが今年最初のブログ記事(!)というサボりぶりなので、近況報告も兼ねて、最近やっていることを以下に書き記しておきます。

  • ノーコードツールを大学の授業で扱おうかと画策しています。候補はAppSheetとGlide。作りたいものは特にない、ICTに詳しいわけでもない、という普通の大学生でも意義のある学びは何か、ということをずっと考えています。
  • Nintendo Switchの「ゼノブレイド3」で遊んでいます。シリーズは「DE」からの2作目。プレイ時間が120時間を超えてクリアが見えてきたものの、クリア後もしばらく遊んでそうです。
  • 鶏もも肉のソテーがめっちゃ上手に作れるようになりました。当社比ですが、けっこう自信があります。そのためにYouTubeにある焼き方解説動画を大量に見たんですが、どこかで発表したいくらいに学びが多かったです。