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暴言と感情のあいだ

ネットをぷらぷらしていると「クズ」とか「死ね」とかいう言葉を見かけることがあります。そうした言葉が書かれやすい特定の話題や、そうした言葉を(僕から見ると)日常的に連発している人もいたりします。

別に「そういう汚い言葉は使っちゃダメ」とか言いたいわけではありません。生きてりゃ本当に気に入らないことにも出会うでしょう。第三者が見たら、そこまで罵ることもないんじゃないの?と思うようなことでも、本人からしたら我慢ならないことだってあるでしょう。口にしないストレスで病気になっちゃうのも得策とは言えません。

でも、そういう「言われたら確実に強く気分を害するであろう」発言、最上級の暴言は、日常的に乱発するんじゃなく、ここぞの時に取っておくのがいいんじゃないか、と思うのです。だって、普段から何でも「クズ」を連発してると、より大物に直面したときに「モア・クズ」とか「モースト・クズ」とか言うわけにはいかないじゃないですか。ボスキャラが出現したときに「超ベリー死ね」とか言ってもカッコがつかない。普段は小さめの暴言を吐くことにしておいて、本当に屑なケースだと言い切れるときに伝家の宝刀を抜こうというわけです。そうすることで、暴言は最大の効果を生み出すことができます。

感情は言葉にして初めて形になるものなので、最上級の暴言という入れ物に入れた感情は、その元々の大きさや形にかかわらず、最上級の感情になるのだと思います。本当はちょっとした怒りでも、クズ!と口にした途端に、最初からとても大きな怒りであったかのように錯覚するというか。入れ物のバリエーションが少なければ、感情もスケールが少なくなる気がします。その点でも、言葉って大事じゃないかなと思うわけです。

沸点が低い、などという言い方をしますが、ぬるめのお湯や、コーヒーのおいしい温度も備えた上で、いざというときは熱湯も辞さない、ぐらいの幅があるといいですね。そうすれば、イライラする自分を冷静に見つめたり、状況に応じて投げつける言葉を変えたり、といったコントロールができるようになるのではないでしょうか。

ちょっとした心がけで、豊かな暴言ライフを。