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人工知能さんと連携とか考える前にだな

日本語教育学会の2017年春季大会では、人工知能(AI)を取り上げるらしい。で、人工知能を使った日本語教育のアイディアの募集、というのが始まっていた。以下がその詳細のリンク(PDFなので注意)と、説明の一部の抜粋。

大会委員会主催「2017年度日本語教育学会春季大会「特別プログラム」に関するアイディア募集」

人工知能の進化は、人間の教師に取って代わる可能性があるという点で、私たち日本語教師にとって大きな脅威です。しかし、日本語を学ぶ学習者も、日本語を教える教師も、人間です。人間にしかできないことがきっとあるはずです。人工知能をいたずらに忌避するのではなく、人間の教師のパフォーマンスを高めるために、人工知能と連携しつつ、質の高い日本語教育を学習者に提供できるとしたら、学習者にとっても教師にとっても意味があると思います。そこで、人工知能や、人工知能を搭載した人型ロボットの技術が将来さらに向上したとき、「こんなことができたらいいな」というアイディアを募集します。

日本語教育関係者のほとんどが人工知能について詳しくないような気がするのだけど、集まったアイディアが「それ人工知能と関係ないやん」なものばかりになりはしないんだろうか。そして、ワーキンググループは選考に必要な知見を持っているんだろうか。なんか「ドラえもんの秘密道具アイディアコンテスト」みたいになるのでは・・と考えるのは杞憂だろうか。

新しい取り組みをしようという姿勢はいいのだけれど、なぜテーマが人工知能なのか。流行ってるから?神ってるから?

この10年ずっとITに関して目を背けてきた業界なんだから、まずはスマホにでも注目して、すでに起きている変化と日本語教師の立ち位置を整理する方が、ずっと重要で喫緊の課題なんじゃないかな。

趣旨説明の文章を見て残念なのは、人工知能を「人間に取って代わる」という強力な存在として捉えておきながら、考えることは「日本語教師の食い扶持を維持できるか」の範囲で終わっているところ。そんな時代になったら、僕らの日常生活も社会の価値観も大きく変わるだろうし、それに伴って学習者や日本語や学習観そのものも変わるわけでしょ。教室とか学校の役割だって変わる。そうなれば、日本語教師(と呼ばれる、特定のスキルセットを持った人たち)の仕事が、いまと同じようなスタイルでその価値を維持できるわけがない。いまだってすでに怪しいというのに。

人工知能には意味があるとか、人間にしかできないことがあるとか、そんなのは学習者や社会が判断すること。日本語教師に現実的に必要なのは、学習者や社会のニーズを見極めて、必要とされるように自分の仕事を変えていくことじゃないのかな。だって必要とされなくなったら、教師が何を言ったところで意味ないじゃん。

スマホが普及しネットと合わさって、ほんの数年で僕らの日常行動は変わり価値観も変わった。それなのに「教室や学校や学習者の考え方は今も昔も未来も変わらない、だから教師は変わらなくても大丈夫」なんて、幻想の安全地帯から偉そうにポジショントークを続けている人たち。仮に、それが多くの日本語教師の現実の姿なのだとしても、1つの目指すべきコンセプトを掲げて世に問うのが学会の役割だと思う。違うのかな。

イジワルな言い方をすると、人工知能が教師を淘汰しちゃうくらいの未来を学習者や社会は望んでいるんだと思うし、そんな未来でないと日本語教育は業界ごと潰れちゃうだろうな、ということです。