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パフォーマンスと学びの主体性

昨日の記事「うまいプレゼンを目指す前に確認すること」で、パフォーマンスより内容や構成を見直すことがプレゼンではまず重要だ、みたいなことを書きました。それは一般論のつもりではあるのですが、自分は教師としての振る舞いも「パフォーマンスより内容」という意識が強いのだな、と思えてきました。

その昔、高校に教育実習(国語科)に行ったとき、同僚の教育実習生を見て、教師には大きく2種類があるのかなと思ったことがあります。太陽と月、の2種類。一方は、パーソナリティを前面に出して、常に熱く、学習者のモチベーションを高めて、クラスを引っ張っていくような教師。卒業後に教師になりたいと言う人にこのタイプが多かったです。もう一方は、静かで目立たず、テンションも低いことが多くて、学習者に席を譲って傍らで見守っている教師。とりあえず免許を取りに教育実習に来た、みたいな人の多くはこのタイプでした。

で、僕はなぜか、後者の人の方が話が合うことが多かったんですよね。太陽系の教師が教室で学生と文化祭の準備をしているあいだ、僕は「学校の主役は学生なんだから教師は前に出なくていいんじゃないのー」とか、講師控室で話していました。あれから10年後の今も途切れず教師の仕事を続けているというのにね。

パーソナリティというのは、もちろん教師の行動のあちこちに自然と出てくるものですし、それが授業を進めて行くうえで重要な鍵になるのは事実です。誰も「無味乾燥な教育用ロボット」に教えてもらいたいとは思わないでしょうから。ただ、某予備校のCMに出てくるような教師のように、パーソナリティと不可分な手法というのには個人的にあまり興味がありません。その理由としては、僕自身がそういうのは不向きだなぁと思っていること、学ぶ価値のある手法とは多くの教師が汎用的に使えるものだと考えていること、そしてこれが一番大きいのですが、学びの主体性を学習者から無意識に奪うことへの懸念、というのがあります。

Web業界のセミナーや勉強会でいろんな人たちと話していて思うのは、「勉強する意欲はないわけじゃないのに、何を勉強したら良いのかわからなくて止まっている人が多い」ということです。勉強の手法としては、学校や書籍に加えて、特にWeb業界はオンラインのリソースが充実していますから、自分に合った方法を選ぶのは難しくないと感じているようです。でも、何を勉強したらいいかわからない、という声をよく聞くのです。Web業界入りたての人ではなく、もう何年も経験を積んだ人から。

自分が何を勉強したらいいのかは、自分の興味関心と、あと仕事上の必要性を加味しなければならないでしょう。いま直近の仕事で必要なことであれば迷うことはありませんが、この先のことを考えて・・となると、業界における自分の立ち位置とか、業界の変化の方向を見定めないといけません。これには当然のことながら正解はないので、情報を集めて自分なりに判断するということになります。が、考えだすと不安で仕方がない、などと言って考えるのをやめてしまう、つい目を背けてしまうと。

その結果、学校に行き直したり、信頼できそうなセミナーに何度も参加したり、ということになるようですが、それもひとつの指針を得る行為ではあるものの、万能かというと疑問が残ります。そういうパッケージで提供される学びは「スタートラインに立つために最低限必要なこと」だったり「もう多くの人が開拓していて新規参入のうま味の少ない領域」だったりするからです。そのことを分かったうえでならいいのですが、次の数年の自分を賭ける場所そのものにはならないでしょう。仕事がある、というのは他と比較したうえで価値がある、ということですから。

学校にいる間は、次のハードルを教師が提示してくれて、学習者はそれを信じて越えていくだけで良かったのかもしれません。でも仕事で身を立てていく段階になると、どんなハードルをどのくらいの間隔で設置するのか、あるいはハードル走ではなく他の競技への転向ということすらも、自分で選ぶより他ありません。過去に自分が越えてきたハードルと、いまの自分の心の状態を評価して、競技場全体を見回さないといけないわけです。先生がコレを勉強しろって言ったからそうしただけ・・などと言ってもはじまりません。

僕自身、大学の時に学びについての大きなパラダイムシフトがあって、学びの対象も環境も自分で選んでいかないとダメなのだな、と思うようになりました。それでも実際はうまく選べず環境も作れずで苦労しましたし、今も自慢できるような状況ではありませんが、自分がリスクを背負って選ばないことには何も変わらないということだけは強く自覚しています。

なので、小中学生ならまだしも、仕事をして生計を立てていく段階が近い(あるいは真っただ中の)学習者には、何をどう学ぶかの設計を教師に一任する姿勢ではなく、自らが選んでいるという自覚を持ってもらいたいんですよね。教師はその伴走者にはなるから、そこは安心してもらっていい。だからこそ、教える内容にも、その伝え方にも最大限の意識を払おうと思っています。教師は判断のための材料を(目をくらますような色はつけずに)渡しているだけであり、判断をするのも責任を負うのも学習者自身だと分かってもらえるように。そして、学校を卒業したら、少しずつでも自分で学びを選んでいける人になってもらうために。

自分は普段からそういうことを考えているので、プレゼンをするときも、内容と聴き手の媒介をするような振る舞いになるのかもなぁと思うのでした。