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アイディアに必要なもの

e-Learningのコンテンツを議論しているとき「双方向」とか「コミュニティ」とかいったキーワードが出てくることがあります。そういう要素を入れたコンテンツを作りたいという要望。でも、そういうことを提案する人が、自己の経験として「双方向なWebサービスの利用経験」とか「Webコミュニティへの積極的な参加」がほとんどなかったりします。不思議です。

僕自身は、あんまりそういう系の提案はしないことが多いんですけど、それはそういうサービスに日常的に漬かっていない面があるからかもしれません。やっぱり自分が楽しい経験をしたことのあるタイプのアイディアは、発想も広がり深まっていきやすいし、結果として提案に盛り込まれる可能性も高くなるように思います。じゃあ逆に、自分がそういうサービスを使った経験がないのにそういう提案をしたくなるのは、いったいなぜなんでしょう。

ときどき「未経験者だから自由に発想できる」とかいう発言を聞きますが、全部じゃないにしても、それって本当かなと僕は思っています。例えば、Webの世界で言うなら「CSSを知らない方が斬新なビジュアルを作れる」とかね。CSSをなまじっか知っていると、CSSでどう実装するかを気にしながらデザインしちゃうから、そういう制約は自由な発想の邪魔だというわけです。

ま、言いたいことはわからなくはないんですけど、HTMLやCSSを理解しないでPhotoshop動かして良いデザインができるのか?という。絵的に斬新なものは発想できても、それがWebのメディアのデザインとして適切でなければ意味がないわけです。じゃあメディアとしてあるべきデザインを知るには、CSSは知らないといけないんじゃないの?というね。

アイディアと一口に言っても、それが単なる抽象的な思いつきレベルであれば、それを実装に落とし込むまでにアイディアをさらに練る作業が必要があります。「知らないから発想できる」レベルの発想は、思いつきの域を出ないものも多いような気がします。で、それを練っていく作業を「知らない人」がやれるかというと難しいので、だから「知らないからいい」と言って任せるのは無理があるのではないでしょうか。

制約があるからこそ逆の発想ができる場合もあります。別の分野の何かとつなげて考えるという方法もあります。「双方向」や「コミュニティ」という発想が、Webの制約や別の世界の経験からきているということもあるでしょう。でも、双方向やコミュニティの一定の実現例はすでにWebにあるわけで、それをほとんど知らない、それに漬かったことがないというのは、やっぱりアイディアとしての思い入れが弱い感じがしますね。

企画を考えるなかで、自由な発想を自由な立場の人から得ていくというのは重要です。ただ、そういう思いつきを形にしていくのには、楽しいと思う気持ちや、叶えたいという熱意が不可欠です。だって辛抱強い努力が要求されますからね。僕はよく、アイディアへの愛情を確認したりするのですが、そういうところにその理由があったりします(って誰に言ってんだよ)。