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セミナーを通じて考えることの難しさ

この数年心がけていることのひとつに「セミナーに参加したらブログを書く」ということがあります。100%というわけではないですが、特にWeb制作系のセミナーに出たときは、だいたい書いています。「そもそも年に数回しか参加してないじゃん」というのは確かにそうなので、偉そうなことは言えませんが、でも実践している人って多くはないと思うんですよね。やっぱ正直言って面倒ですし。

僕が毎回ブログを書けている理由として「書く気になるセミナーにしか行ってない」ことがあります。

書く気になるセミナーとは何か。僕はどちらかというと、講義形式で一般的な知識を学ぶようなセミナーより、考える余地のある問いについて考えるセミナーの方を好みます。前者のようなセミナーは、本とかネットとかUstとかで学べることも多いので。一方で後者の方は、その性格上、講師や他の参加者の個としての意見を聞ける場がセッティングされていることが多いので、出かける価値を感じるんですよね。

考える系のセミナーは、その場で考えをめぐらせますし、よいテーマであればその後も考えます。自分が考えたことは、自分オリジナルのもの(もちろん同様のことを考える人はいるでしょうが、講義として提供された内容とは違うという意味で)ですから、普段の記事のように書くネタになります。自分が書かなければ誰も書かない可能性がありますし、後々読み返して学ぶことも多いので、頑張って書こうという気になるわけです。読み手から何かしらのリアクションを得られる場合もありますしね。

逆に、いわゆるレポート記事を書くのは苦手。何を聴いたかより、聴いて何を考えたかの方に価値があると考える僕にとっては、仕事して書くならともかく、自分が参加したセミナーの概要を書くエネルギーはなかなか出てきません。自分が参加しなかったセミナーの場合は、そういうレポートはとてもありがたいと常々思いますが・・・ほんとにみなさん偉いなぁと感じます。

ひるがえって主催側、講師として話す側としては、参加して考えたことをブログに書いてくれたのを読むのは大変嬉しいことです。ワークショップや勉強会の形式を取っても、当日その場で考えを聞くことは時間的に難しいことがほとんどですので、ブログのようなまとまった文章が読めるのはありがたい。最近はTwitterなんかで感想をいただいて、そこからやりとりが続くこともあります。そのこともあるので、自分が参加者の時はブログを書こうと思っています。

一般的な知識を伝授するセミナーであれば、ノウハウの切り売りという意味を考えると、それに見合う講師代をいただければ満足と捉えることもできます。でも有名講師でもなければ、というか僕の場合は、見合うどころかほとんど無償でやることも多いので、セミナーの準備のために費やしたものをお金だけで回収するのは難しです。そのときに、参加者から意見をもらえたり、何らかの気づきがあったり、次の仕事につながったりすることがあれば、頑張ってよかったなぁ、次も頑張ろうと思えるんですよね。

何年か前、CSS Niteでセッションを持たせてもらったことがありました。そのときは「クライアントとともに成長していくディレクションを考えよう」というテーマで、参加者間での簡単なディスカッションも含めた30分ぐらいの講演だったのですが、後日ブログで言及してくれた人がほとんどいなかったんです。僕のセッションだけでなく、セミナー全体で見ても書いてくれた人は少なかったので、参加者にとってブログを書くこと自体大変なタスクなのだということなのでしょう。でも、考えるきっかけを提供したいと自分では思っていただけに、目に見える形で反応が十分に得られなかったのは「失敗」だったと思っています(会場アンケートには少し意見が書かれていましたが)。

セミナーにしてもワークショップにしても勉強会にしても、その場でも後日でも、参加者に能動的な行動を求めるのはとても難しいです。セミナー当日のデザインでいえば、意見を出しやすいテーマ、タスク、全体の雰囲気なども重要ですが、参加者が(潜在的な状態も含め)意見を持っていることが必須条件です。10名程度の勉強会であれば、積極的に場に貢献しようとする人たちだけを集めることができるかもしれませんが、数十名、あるいは100名を超えるようなセミナーであれば、参加者の問題意識のレベルやコミュニケーションスキルにばらつきが出るのは避けられません。これでは充実した意見のシェア、考える場にするのは難しいでしょう。

じゃあ、考える系のセミナーは少人数でやればいいじゃん、ということになるのですが、少人数だと共有しているコンテクストが多すぎて、広い視点を持って考えることが難しくなる気がするんですよね。同業者での飲み会の愚痴の連鎖みたいな、まぁ時にはそういうのも必要ですけど、それをセミナーや勉強会で昼間からやっても仕方がない感じがします。

僕が大学にいたころ、教師が自己の経験を語り合って学んでいくという授業に参加したことがあります。そこで語るべき自己の経験というのは、他人に誇れる話というのではなく、ちょっとネガティブな思いのある話です。メンバーも旧知の間柄というわけではないですから、基本的に話しにくいわけです。お茶とお菓子を用意して、メンバーは誰もあなたのことを責めたりしないよという安全な空気を作ることが大切。実際に実践しながらその手法を学ぶ授業だったわけですが、こういうのってファシリテーターというか、先頭に立って場をデザインするスキルある人が必要なんですよね。

だから、考える系のセミナーには、外部講師のような人も必要な場合があります。そういう人はすでに各界で活躍してるでしょうから、時間を割いて来てもらうためには、それなりの報酬と、引き受けて良かったと思えるようなフィードバックのある環境をデザインしないといけない。そして、そういう場は1回きりではダメで、毎回講師を呼ばなくてはならないわけではなくても、参加者が継続して考え、シェアする場も継続していかないと意味がないんですよね。だからやっぱり運営にはコストがかかるわけです。

コストがかかるから、参加者の人数を増やして会費を徴収する。でも人数が増えると、場のデザインが難しくなり、やりたかったことができなくなる。ジレンマです。そんなジレンマのなか、セミナーをデザインしなければいけないんですよね。

僕自身、発表とかは時々やっていますが、主催側でイベントをやっているわけじゃないので、偉そうなことは言えません。劇団にいたころのことを思うと、どんなに小さなイベントであっても、それを実行することは大変なのはよく分かっているつもりです。セミナーの運営自体にあれこれコメントする際も、そのことを忘れず、愛を持って言うようにはしています。愛だよ、愛。

このジレンマの突破口としては、小さな勉強会っぽいものから始めて、そのメンバーがそれぞれにスキルを身につけ、それぞれの周りの人に伝授していく形で関係者の底上げを図る、そんな形が理想なのかなぁと思います。みんなで考えていくというのは、本当に難しい。それにはスキルがいるんです。まずはそこを自覚することからだよなぁと、とりあえずこの思いを自分用にメモしておくのでした。

思ってるだけじゃなく、実行に移していかないといけないんだけど。