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大きくなったらケーキ屋さんになりたい、の意味するもの

最近「セルフイメージ」とか「なりたい自分」とかの話に混じったりするのですが、あれってずっとよくわからないのです。自分ではあまり考えたことがないんですけど、みんな気にしたりするんですかね。

個人的に引っかかるのが、僕は「**になりたい」はないけど「**ができるようになりたい」はあるってことなんですよ。既存の偉人とか自己イメージなんかを描いて行動することはないけど、これ自分でもできたら楽しいよなぁとかは思う。希望を具体的な人の姿で描かないというかね。

毎日は石を積み上げていくものだと考えるとき、積み上がった石の姿が自分なんじゃなく、石を積み上げていく姿が自分だと僕は思っています。結果じゃなくプロセス。目的の形まで早く確実に石を積み上げるには、ビジネスの啓蒙書が言うように目標を小さくブレイクダウンして取り組んでいけばいいというのはわかるんです。でも、石を積み上げてる最中にちょうちょが脇を通りすぎていったら、思わず追いかけたくなるじゃないですか。それを追って迷い込んだ場所で、今度は別の石を並べていってもいいと思うんですよね。それも僕の人生だし、僕そのものだと思うんです。

で、よく幼稚園とか小学校の文集で「大きくなったら何になりたいか?」って質問に答えさせるのがあるじゃないですか。あれ、よく考えたら大人の変な誘導があると思うんですよね。何になりたいか?というのは、つまりは何かの職業に就いている人物像を問うているんだけど、別になんで職業で語らなきゃいけないんだよ、と。

僕は小学校の卒業文集で「将来は設計士になりたい」って書いてるんです。でも、設計士って具体的に何をする職業なのか今もよくわかってないんです。今でこんなだから、当時もよくわかってなかったと思います。設計士に会った経験もないし、まじめに調べたこともない。

じゃあなんで書いたのかというと、きっと説明書が好きだったからなんです。当時ガンダムなどのプラモがおまけに付いたお菓子が好きで、簡単なプラモを説明書に従ってよく作ってました。森永のプラモは精巧で説明書もちゃんとしてたんですけど、カバヤのは説明書が間違ってたりするんです。図版が入れ替わってるとか、指示がおかしいとか。で、それにいちいちつっこんでて、ミニ四駆ブームの時は田宮の精巧で美しい説明書に魅力を感じてました。

ファミコンも好きだったんですけど、僕は片目の視力が極端にないので、親は視力の低下を恐れて買ってくれませんでした。そこで攻略本だけを読むことにハマり、ゲームの解説の仕方にもいろんな手法があることを実感する子どもでした。卒業前はカードゲーム(野球選手のとかキングレオとかUNOとか)が流行ったので、またそこでも説明書にはまり、ルールの考案とかにも精を出し、自分ですごろくやカードゲームを作って友達に遊んでもらっていました。

振り返ってみれば、何か仕組みを読み解いて表現する、そういう行為がすごく楽しいと思っていて、設計図を書く仕事を設計士というらしい、みたいな発想になったんじゃないかなと。今の職業はWebデザイナーというか教師というかディレクターというか何なのかですが、小学校の頃からの関心の延長にあると思うんですよね、いまやってる仕事は全部。まさにデザインする仕事。なんだ、昔から僕はデザインがやりたかったんだなぁと実感するわけです。まぁ多少は無意識の記憶の調整も含まれるかもしれませんが。

子どもの夢として「ケーキ屋さんになりたい」ってのはよく聞くと思うんですが、ケーキ屋さんって厳密には職業名じゃないですよね。ケーキ屋の人だから、ケーキの販売員がいちばん近いのかもしれませんけど、お店の経営者とか、ケーキ職人とか、パッケージや空間のデザインもケーキ屋さんの魅力を形作っていると思うんですよね。あと、もちろんケーキのおいしさとか、それを介した笑顔とか、ケーキにまつわる幸福なイメージとかもあるわけです。その子がなぜケーキ屋さんと答えたのか、ケーキにまつわる何か魅力的な体験があったからだと思うと、それを「なりたい人=職業人」という形で答えさせるのって、無理がある。大人の無粋な解釈はいらないと思うんです。

イチローになりたいと思った男の子が惹かれたのは、野球というスポーツなのか、大観衆の期待に応える輝けるプレーぶりなのか、好きなことを貫けることなのか、夢や感動を運んでくれるその姿なのか。その子ども自身も言語化できないものかもしれないけど、そんなふわっとした気持ちが残せればいいと思うんです。無理に「野球選手になりたい」とか絞らなくていい。むしろ、イチローかっこいい!の方がいい。イチローみたいなビジネスマンだって、夢をかなえたと言えると思うんですよね。何の仕事をしてるかなんて、本質のごく一部にしかすぎないはずです。

だいたい、子どものころは職業名なんてほとんど知らない。出会う人も限られている。だから無理に職業や人に結びつける必要なんてない。あれもこれも好きで、なんだか言葉にできないけど心が動く、そんな気持ちを形にして残すことができたら、大人になったときにすごく見るのが楽しいと思う。

そんなわけで、小学生のみならず、僕は今も「なりたい自分」なんか考えず、興味関心を自由に開放して生きていくのが自分だと思っているのであります。