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ITだって勉強しないと適切に扱えない

僕は日本語教育や情報教育の学会に行くと、現場におけるITの活用事例の発表を積極的に聞くようにしています。たとえば、IT教材を制作したとか、授業やコースの運営支援ツールを開発・導入したとかいったことですね。で、そういう事例を聞いていてよく思うのが、ちょっと下調べをせずに取り組みすぎなんじゃないか、ということです。

数年前になりますが「掲示板やSNSのコメント欄を学習に使う」という事例を見ました。僕は、この発想自体は特に「筋が悪い」とは思いませんでしたが、その手法がどうにも的外れで、結果も思わしくなく、結果に対する考察もトンチンカンなものだと感じました。僕なりにアドバイスできないかなぁと思い、発表の後に登壇者と話をしたところ分かったのは、ツールである掲示板やSNSについての一般的な知識がほとんどなく、普段コメントを書き込むようなこともしない人が取り組んでいる、ということでした。取り組んだ動機としても「思いつき」以上の回答が得られない状況。

これを読んで「そんな極端な例を挙げて批判しなくても・・・」と言える教育関係者がどれくらいいるか、僕はけっこう疑問を持っています。研究論文では、先行研究を調べて自分の取り組みを位置づけることは、当たり前にすべきことでしょう。でも、こうした「ITの教育活用」においては、その部分がないがしろにされているように感じます。

これは何も「発表では研究論文を引用しろ」とか「既存の学習理論を用いて分析せよ」とかいった、アカデミックな取り組みをしなさいという意味ではありません。関連するいろんなものを見たり、考えるために必要な経験を整理しようよ、ということです。もちろん先行研究があればそれも当然読むべきでしょうが、IT分野は変化が速いうえ、まだまだ研究の形で取り組む人が多いとは言えないので、ピッタリ合うものが見つからないことも多いだろうからです。

先の事例でいえば、SNSを自分で使ってみる、使ってる人の話を聞く、いろんなSNS(とコメント欄の違い)を比較してみる、関連するブログや書籍をあたってみる、ということがまず必要だろうと。ひとつ知ってれば他も同じ、何とかなるだろうと甘く見てませんかね。

僕がこの問題をわざわざ指摘する理由は、いいかげんな取り組みで学習者に大きな不利益を与えないでほしい、という思いがあるからです。先の事例では「コメントの書き込みが少ないのは学習者の問題」と取れるような考察がなされていて、思わず「学習環境の設計のまずさを一方的に学習者のせいにするのは教師として問題だ」とコメントしてしまいました。ITの活用はまだまだチャレンジングな要素が大きく、思ったような結果につながらないことは多いと思います。それでも、自分たちの実践を冷静に分析する努力は怠らないでほしいのです。

僕が授業や教材の設計をするときも、どこかの現場にアドバイスするときも、いろんなことを調べますし、ネットや書籍を使って普段から参考になる知見を集めています。そうしないと、できないですよ。思いつきだけで授業がすべてうまくいくわけではないのと同じです。

最近はFacebookやTwitterのおかげで、自分と同じようなことをしている仲間と出会い、その仲間が見ている、あるいは発信している情報を共有しやすくなりました。研究発表の質が上がれば、学会や研究会も情報収集や意見交換の場として機能すると思うんですよね。そうすれば、無駄な失敗を回避できるかもしれないわけです。そうしたことを業界として取り組んでいくことが、教育全体の質を上げることになるんじゃないでしょうか。