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紙媒体の予稿集はもういいんじゃないのか

先日の日本語教育学会、受付で予稿集を買うことが参加の必須条件でした。会員は4,000円、非会員は5,000円。この数年つとに思うのが、もう紙媒体の予稿集を買わせるのは考え直した方がいいんじゃないかということ。

口頭発表の場合、予稿を事前に提出して、それが製本されて手渡されるわけなんですが、これが分厚くて重い。僕は正直言って邪魔だと感じることが多いです。だって、分科会の発表は休みなく次々行われるんだから、事前も事後も目を通してる暇なんてないんです。どうせ帰って読むものだったら、他に荷物もあるのに重たい本を抱えて移動するのって意味ないと思うんですよね。学会のページからPDF形式でダウンロードできるようにしてくれたらいいです。必要なページだけ(読みにくければ印刷して)読むから。

一昨年、釜山で開催された日本語教育学会の世界大会は、電話帳みたいなのが3冊も会場でプレゼントされたんですよね。あれには閉口せざるをえませんでした。とてもじゃないけど、気軽に持ち歩けるような重さじゃない。加えて海外での開催だから、帰りの飛行機もあるので無駄な荷物を増やしたくないわけですよ。参加のおまけにUSBメモリがついていましたが、みんな「これに入れてくれたらいいのに」って言ってました。入れるのが大変なら、ダウンロードで良かったと思うんですよね。プログラムとか最低限の情報だけ紙で配るようにしてほしい。

一方、毎年夏に参加しているPCカンファレンスでは、予稿集はセッションごとにPDFでダウンロードできます。CD版も参加者には配られますが、あれは別にいらないと思います。紙版の方も買ってくださいとか言われますが、僕は買ったことがありません。荷物を増やしたくないからです。

PCカンファレンスの方法が優れている点はもう1つあって、それは開催前に読めること。だいたい1週間前にはダウンロード可能になります。僕は興味のあるセッションは根こそぎ予稿集をダウンロードして読んで、当日聴くセッションを選びますし、あらかじめ質問なども考えて臨みます。どうしても聴けないものは、メールで後日質問したりもします。

僕は上記2つの学会で発表することが多いので、発表者側から見ても、予稿集のあり方はもっとちゃんと考えた方がいいと思うんですよね。

PCカンファレンスの場合、口頭発表なら最大4ページ分が与えられます。僕はこの予稿に対して「事前に読んでからセッションを聞きに来る人」「紙版を買ってセッションの待ち時間に読む人」「事後に読む人」の3タイプがいると考えています。予稿には、発表の核心部分はきちんと記述します。予稿単体でも十分意味がわかるようにし、書ききれない場合は発表専用のWebページ(サイトを丸ごと作ってた時もありました)を設置してURLを記載しておく。もちろんメールアドレスも書いておいて、当日のセッションが聴けない人でも情報が得やすいようにします。また、読んでからセッションを聴いてくれる人が「予稿のまんまかー」と残念に思わないように、ライブであることを意識した追加情報や質疑応答に力を入れるようにしています。

発表の数カ月前に発表内容を固めるのは苦労しますが、そのぶんちゃんと準備できますし、事前に予稿を読んでいるような人のことも想定してセッションを考えられます。セッション前、セッション中、セッション後までトータルに考えてプレゼンするのが僕のポリシーで、予稿の事前配布がそれを可能にしています。

予稿が現実的に後日しか読まれないような場合、予稿の内容が単体で有用なものであるべきなのはもちろんとしても、予稿を読んでセッションを選んで来た人はいないわけなので、話を聞きたくなるように仕立てるべきは予稿ではなく発表タイトルです。タイトルが単体で成立していないと、聴きに来てもくれないし、その後予稿が読まれる可能性も低いでしょう。

このような方法を取るなら、予稿という形ではなく、セッション後の質疑応答も含めて内容を整理したものを論文集というような形にして、後日配布にすればいいと思うんです。郵送料もかかるでしょうからダウンロードする形で。印刷しないんだったらページ数の厳しい制約も必要ないですよね。発表内容に少しでも興味を持ってくれた人に丁寧に説明することも可能になります。こっちの方が聞き手にも話し手にも有意義だと思うんですけどね。

予稿集の売上が貴重な収入元というのもあるのでしょうが、それなら参加費を普通にいただいて、予稿はダウンロード用のパスワードを発行したらいいでしょう。本の印刷費が浮くし、印刷向けに必死に編集する必要もなくなります。iPadみたいな端末が普及したら、それこそ紙媒体の予稿集の価値は大きく下がるはず。エコでコストも抑えられてみんながハッピーにならないですかね?

今回の件に限りませんが、発表者や聞き手を大切にしない学会(研究会)は、やがて廃れていくんじゃないかと思います。これまで通りがベストだといえない部分も、あるんじゃないのかな。