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未知を未知のままにするディレクション

ディレクションって、端的に言って「人を見る」仕事だと考えています。動かすものはサービスやアイディア、お金、権利、地位、もちろんモノとかなんですけど、結局は人の行動と、そこにある心をどうとらえていくかなんだと。

そのためには「知っていること」が大切だと思うんですよね。いろんなことを把握していないと、適切な判断を下せない。いや、判断を下す勇気が持てない、と言った方がいいかもしれません。だから何でも知りたくなる。知っておこうと思って努力する。関わる人たちのことも、様々な専門領域についても。

でも、プロジェクトの規模が大きくなると、それに関わる人の数や領域も大きくなるわけで、全体の複雑さも増します。そうなると「何でも知っておこう」というアプローチでディレクションやマネージメントをするのは、ちょっと現実的に無理になってきます。したくても、しきれない。その歯がゆさを感じるようになります。

ただ、最近は、知らないことを知らないままにしておく、すべてを知らなくても過度に不安にならずにディレクションしていこう、そう思うようになりました。もちろん、知らないとできないことは山とあるので、知っておくこと、知ろうとすることの大切さは変わりません。でも、知らないこと、知ることが(現実的に)無理なこともある、ということを認めたうえで、できることのポイントを外さないことを意識しよう、ということです。ストレスですべてを無にしてしまわないための、前向きな諦めというか。

大学生のころ、イギリスのカンタベリーにある英語の学校に行ってたんですよね。三週間ぐらいですけど。そこにはヨーロッパ各国のいろんな人が学生として来ていて、大学の寮で生活しながら授業を受けるんです。んで、そこではやっぱりいろんなことが起きる。授業が終わったあとに。不慣れな環境でストレスもたまりやすかったりするし。あんまりプライベートの細かいとこに首突っ込まない僕でも、いろいろ目にするんですよ。つまんないケンカとか。そういうのが授業にも影響してくるんですよね。

僕はそういうとき、教師とかコーディネーターはそういうの把握してフォローしないといけないから大変だ、と最初に思ったんですけど、その学校の講師は全然把握しているように見えない(いや、見えないだけで本当は把握してるのかもしれないけど)。でも、すごくよく観察してるし声もかけてる。何かあったらいつでも声かけて、ウェルカムだよ、みたいな。みんなそれぞれにそれぞれあるよ、それが当たり前、人生だよ、でも僕らは君の味方だ、みたいな。

僕はそういう講師の姿を見て、こういうやり方もアリだなぁって思ったんですよね。そんな全部は把握できないし、人それぞれ自力で何とかする力もあるんだから、そこはまず見守るというか、任せてみることから入る。人それぞれに遊びを作っておいて、でもポイントはきちんと押さえるディレクション。ま、もともと楽天的な講師たちって感じはしますけどね。

関係者の力量を詳細に把握して、期待できるレベルを判断して、未知の領域をできるだけなくして、確実な足し算を選んでいく。それは堅実なマネージメントだと思うんですけど、ちょっとつまらなくもあるんですよね。運と偶然によって、あるいは関係者の劇的な変化によって、足し算では得られない掛け算的な結果が手に入る場合だってある。それを期待することを前提としたマネージメントも、楽しいんじゃないかと思います。誰かの貢献で自分の期待を超える結果が出ると嬉しいじゃないですか。自分でやるより嬉しい。もちろん、押さえるべきところは押さえますよ。保険をかけつつ期待してギリギリまで待つということ。それがディレクターの仕事だと、最近は考えていたりします。