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続・それも教師の仕事のうち

前回の記事「それも教師の仕事のうち」に、Facebook経由でいくつかコメントをつけてもらいました。それを読んでいるうちに(長くなるのであのときは書かなかったことを)追記したくなったので、続編記事として書いてみることにします。

友人の土井佳彦(@doiyoshihiko)さんがコメント欄で、自身の実践例を教えてくれました。なんでも、開発したテキストの音声素材をブログにアップして、学習者がスマホから自由に聴けるようにしているそうです。紙のテキストにはQRコードを載せておき、それをスマホで読み取ればワンタッチで該当の音声が聴ける、という工夫もしているとのこと。さすがだなぁと思いました。

この話で勘違いしないでほしいのは、僕が「教材開発はこのくらいのレベルであるべき」とか「これぐらいITを使いこなせるようになるべき」と言いたいのではない、ということ。そういうのは技術に詳しい人に協力してもらって良いのです。教師がみんなスーパーマンになる必要はありません。

そうではなく、ITの進化(あるいは時代の変化)を自身の実践を見直す機会と捉えてほしい、と僕は思っています。土井さんの例でいうと「音声を再生する操作は、必ずしも教師がやる必要はないのでは?」と気付く良い機会ではないか、ということです。

スマホで簡単に音声を聴けるようになれば、学習者は自分の判断で聴解教材を活用することができます。教師の行動に関係なく、教室外・授業外でも好きなときに聴けます。このことは、カセットテープやCDしかなかった時代、再生機器が教卓に置いてあるだけの時代には、教師も学習者も思いつきにくかったことでしょう。だって、思いついたとしても、そう簡単には実現できないことですから。

もちろん、学習者が個人で自由に聴けるようになったからといって、教室でいっせいに音声を聴く学習活動が無意味になった、と言いたいわけではありませんよ。学習プロセスにおいて、そうすることが効果的な場合は、教師は普通にやればいいんです。

ただ、教師の意図するタイミングで聴かせるのも、学習者が自分で好きに聴くのも、どちらも今や現実的な選択肢になったということです。だから教師は、そこをよく理解したうえで、状況に合わせて適切なものをチョイスしないとダメでしょう。何も考えずにプレイヤーの再生ボタンを押していればいい時代ではないのです。

実のところ、これはなかなか難しいことだと思います。教師として長く仕事をしている人ほど、経験を重ねてきた手順はスムーズで無駄がなく、自分にとってベストだと感じるものでしょう。オールドメディアだと外野に言われたところで「私はこれで問題なく授業ができている」とか「最も大切なのは学びの内容であって教材や教具ではない」と言い返したくもなるものです。そこを、本当に問題はないの?問題自体が見えてないだけじゃないの?他の選択肢もきちんと検討してるの?本当にゼロベースで自身の実践を見直せてるの?なんて、いつも自分に問い直せるかというと、そう簡単にできるものではないでしょう。

とはいえ、簡単ではないからといって逃げ続けることは、時代のニーズを無視するということ、いつか目の前の学習者からもそっぽを向かれる、そんな日を待つということでもあります。

デジタル教材を使ってみよう、ITを活用しようという話をすると、たいてい「面倒だし」とか「難しいし」という反応が返ってきます。確かに、面倒だし難しい部分はあります。僕だって15年前、カセットテープをCD化する作業を頼まれたとき、そう思いましたよ。資料を集めまくって読みまくるのは面倒だったし、書いてあることがよく分からなくて難しかったです。でも、それを学ぶ必要性が僕には理解できたし、それが僕の仕事だからやったわけで。そのことは今も変わりません。そういうものでしょう。

いつか仕事がなくなる日が来たときの自分のことを想像したら、ITの活用のためのチャレンジなんか、言うほど大変なことじゃないですよ。新しいことを学んで視界が開けるのは楽しいですし、周りがやらないうちに先んじてやれると有利なこともありますし(世間的にはもう十分に遅いといえるレベルですけど)。

気が進まなくてもやりなさいって、学習者によく言うのが教師。ならば、学習者にやりなさいと言われる前にやるのが、教師なんじゃないでしょうかね。