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ゼルダに見る「自由の演出」の柔軟性

昨日「ゼルダの伝説 神々のトライフォース2」をクリアした。発売後すぐ買ってはいたんだけど、いろいろ後回しになっててやっとこさ。僕はゼルダのシリーズが大好きで、ほぼ全作品をプレイしてるんだけど、システムや演出やインターフェースなど様々な面で、ゼルダには本当に感心させられることが多い。そのなかでも「難易度調節機能」について、今回は記事としてまとめてみる。

軽くネタバレになっちゃうけど、今回のゼルダは(シリーズ他の作品にもあるように)ゲームクリア後に、内容は基本そのままで敵を強くした設定で再プレイができる、という仕組みが用意されている。幅広いユーザーに合わせるため、ゲームの難易度が異なるバリエーションを作っておき、ゲーム開始時にプレイヤーに「ゲームモード」として選ばせるというのは、ゲームでは非常によくある手法。

ただ「ゼルダはなるべくそういう手法を取りたくない」という話を開発陣がしていたインタビュー記事を、僕はずいぶん昔にどこか(シリーズのいずれかの作品の攻略本)で読んだことがあった。最初の時点で「EASY・NORMAL・HARD」から選ばせるのではなく、ゲームを進めていくなかでプレイヤーが柔軟に調節できるのがスマートだと。

前述のように、最近のゼルダはいわゆる「HARDモード」を用意してしまっているのだけど、ゲームシステムの設計において、その理想を実現しているところが(ごく初期の作品から)いろいろとある。この設計の工夫は本当に絶妙だ。

たとえば、ゼルダでは途中の大きなイベントをクリアするごとに「ハートのうつわ」と呼ばれるアイテムを得ることができる。これはプレイヤーの体力ゲージの上限を増やすアイテムで、ミスが許容される回数を増やすもの。これを得ていくことでゲームオーバーになる確率は下がるのだけど、イベントクリア時に自動的に体力ゲージが増えるのではなく、あくまで「出現したハートのうつわを取ったら」体力ゲージが増えるという、選択肢の形で提供している。ハートのうつわを取らずに進み、あえて弱い状態をキープすることで、ゲームの緊張感を高めることもできるわけ。

アイテムを入れておける「ビン」も、回復の薬を入れておけば安心だけど、ハチなどを入れておいて遊ぶこともできる、という使いみちの自由度を提供している。お金をコツコツと貯めたり寄り道をしたりすれば武器を強化でき、そうすれば戦いはぐっと楽になる。でも弱い武器のままでも、腕さえあればクリアはできる。ゲームオーバー後の再開も、少し戻れば体力を回復できるような場所が必ず用意されていて、再チャレンジの難易度を調整しやすくする工夫が見てとれる。

ゲームを始める前に難易度を選ぶのではなく、遊びながら様子を見て、難しいと思ったら安全策を、簡単だと思ったらサクサク先へ進める道を、無段階で柔軟かつ自然に選べる。そのための仕組みが、ゼルダにはあちこちに用意されている。ほんと、その配慮は徹底している。

ゲームが好きな人は「縛りプレイ」という表現を使うことがある。アイテムを極力使わない、できるだけ低いレベルでクリアする、などといった自分なりのルールを課すことで、ゲームの難易度を調節するチャレンジ。ゲームって「制限の中に自由がある」ことが楽しいので、どんなゲームでもそれを自分で見つけて楽しめばいいいのだけれど、それってゲーマーのような「楽しみ上手な人」じゃないと難しい部分がある。そこを普通のプレイヤーにもさりげなく体験させているのが、ゼルダのすごいところだと思う。これは任天堂のゲームだとマリオなど他の作品にも共通する点だけど、ゼルダは昔から特にそれが顕著な気がして、僕は毎回感心しながらプレイしてしまう。

この考え方って、たとえばアプリのデザインとか、授業設計とかにも応用できる話だよね。アプリに詳細なコンフィグを用意すれば良いわけじゃないし、それで心地よくなるわけでもない。個性はあるけど柔軟な使い方もできる、そんなものが作れるといい。大勢の学習者のいる授業では、教師の作った流れに学習者全員を常に乗せることがベストではなくて、それぞれの学習者が自分のペースで学べるような隙間を持たせることも重要。エッセンスは共通している。

ゼルダは30年近く続いているシリーズで、その大枠のデザインは初期の頃から変わっていないけど、毎回新しいチャレンジも加えられている。ここまで書いてきた難易度設定の柔軟さも、今作で思い切って手を入れた部分があり、その点についてのユーザーレビューは賛否両論といったところ(とはいえ全体の品質は相当に高いけど)。自分の取り組むデザインも、まだまだ新しいアイディア、細やかな工夫を盛り込める余地があるはずだ、と感じさせてくれる。僕にとってゼルダは、楽しさと学びの詰まった偉大なゲームなのです。