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ホームという場所

自分のホームって何だろうと、ふと考える。ホーム&アウェイのホームね。

僕はいわゆる「正社員でフルタイム」という働き方をしたことがありません。大学生のころに日本語教育の研修施設でスタッフとして働き始めたのが最初で、そこは9時〜17時で最大週3日勤務。結局10年くらい続けたので、施設側としては完全なベテラン扱いで、専用の机も用意してくれたんですが、そこがホームという感は特になかったです。講師の仕事も多いときで週3日。当然、時間単位の契約なので、共用の講師室は控室以上の意味はなく。Web制作会社は全く経由せずにフリーランスとして仕事を始めましたし、自宅兼仕事場でオン・オフを考えないで活動する性格です。そんなこんななので、ホームってよくわからないのですよね。

何というか、異なる2つのグループの間でふわふわするお仕事、というのをずっとやってきている気がします。教師と事務方とか、非常勤と専任とか、専任職員と派遣社員とか、教師と学生とか、発注側と受注側とか、教師とデザイナーとか、制作者とユーザーとか。双方の情報を得て、現状と未来予想図なんかを頭に描きつつ、自分の思いも織り込んで、必要なことを言っていく仕事。自分の考え方がそういう働き方を選ばせたのか、そういう働き方が自然に考え方に影響したのかわかりませんが、どちらの側にもつかない、みたいな行動を取ってる自覚はあります。

だから「おまえはどっちの味方なんだ?」と言われることも、たまにあります。対立状態になっている双方のことを(ある程度は)知っている人間だとバレているので、味方についてくれないと困るというのはわかります。どっちの味方か?というと、そりゃもう自分の味方ですよ。その場その場で自分が判断した方の後押しをする。それだけ。でも、全然別の存在を意識して動くこともあります。事務と教員だったら、その結末が与える学生への影響を考える。受注側と発注側とだったら、プロダクトのユーザーのことを考える。まぁ、単に「どちらかに肩入れできるほど、肩入れしたい組織の事情に詳しくない」という中途半端さも大きいのですけど。

だから「自分にはホームって感覚はなさそう」と長らく思っていたのですが、場としてのホームは明確にはなくとも、人との関係はホームになりうるというか、ホームにしようとしてるのかなぁと今は思っています。例えば、プロジェクトメンバーとは気兼ねなく言いたいことが言えるのであれば、そのコミュニケーションは「ホーム」。メールやチャットのやり取りの中で積もっていく発言と流れる時間は、安心できる「ホーム」。そんなホームをひとつひとつ作っていくために、知識と理解と信頼を積み重ねて、時にはガーンと思い切って踏み込んでみるのが自分のやり方(というか、やりたいこと)なのかなぁと。

いやいや、そういうコミュニケーションができる場所がホームなんだよ、と言われればそうかもしれません。ただ、僕みたいに外に固定した場を持たないで個人単位で活動する人にとっては、物理的な場ではなく、例えばソーシャルメディアのコミュニティがホームなのかな、そして今後そういう人は増えるんじゃないかな、とは感じています。あるいは、コワーキングスペースみたいなものも新しいホームの形なのかもしれません。