withComputer

Web業界とやらに思うこと

Web業界の技術革新って日進月歩だと言われるので、棚にある「Web Desigining」の2003年2月号をめくってみた。10年前の業界専門誌には、何が取り上げられているのか。

何が変わったと考えるのか

第1特集は「ブロードバンドでWebは変わったか」。動画配信、Flashによるリッチコンテンツ、Web3Dが取り上げられている。第2特集は「正しいSEOのススメ」。ディレクトリ型検索エンジンからロボット型検索エンジンへの移行、適切なマークアップ、キーワード、検索によるトップページ以外からの流入対策、Webポジショニング。そのほかの連載では、GoLiveを使ったワークフロー、FlashのUIコンポーネント、JavaScriptのクロスブラウザテクニック、など。あと、Mac版Safariのベータ版が提供開始、という記事があった。

取り上げられている技術の中には、今とは扱われ方が異なっているものもある。UIをFlashで作ることはずいぶん減ったし、GoLiveはもうないし、jQueryのおかげでJavaScriptを扱うのは格段に楽になった。このことを「技術の移り変わりが速い」と表現するなら確かにそうだと思う。でもそれは業界内的な見方で、技術がユーザーにどんな影響を与えたかという点では大して変わっていない。つまり、Web制作者がユーザーに与える価値は、この10年で特に大きく変わっていないといえる。

このあと、ブログの普及が加速し、mixiが生まれ、YouTubeは当たり前のものとなり、ネットの利用はデスクトップからスマートフォンに舞台が移っていく。ユーザーの毎日に与えた影響で言えば、こうしたことのほうが革新的に大きなことだ。そうした革新は、パワーのある一部の人たちのアイディアと行動によるもので、多くのWeb制作者は、その革新が起こってから、そこに合わせる形で生きてきたという構図がある。

僕はべつに「革新を起こす側は素晴らしく、革新に乗っかる側はダメ」とか「Web制作者はみんな革新を起こす側を目指すべき」などと言いたいわけではない。表舞台では語られないけれど、いまのWebを支える技術を高度に作り上げてきた人たちは当然たくさんいるし、ゴツゴツした革新をユーザーが食べやすい形にアレンジして提供してきた人たちも山のようにいる。単純に、いろんな役割があるというだけだ。

デザイナー自業自得説

この数週間、Web業界のキャリアとか給与などが、また話題になっている。そうしたことを考えるときは「自分はどこを向いて、誰に評価されるように、何を見て仕事をするのか」が重要ではないか、と思っている。

たとえば「誰に評価されるように」という観点でWeb制作者を分けると、エンドユーザーやクライアント(発注者)に評価されることを考える働き方と、業界内や組織内で価値ある役割を担う働き方とがあると思う。前者はフリーランスや小規模な制作会社におけるマルチプレイヤー、後者は大きな制作会社での専門職従事者をイメージしてもらってもいい。

まず前者について。クライアントに評価されるWebサイトは、クライアントの実現したいことをかなえるものであり、サイトそのものだけでなく、サイトがもたらす結果や、プロジェクトのプロセスも評価対象になる。評価の基準はクライアント次第なのだから、たとえWeb業界的に評価の高い技術や手法を駆使したものであっても、それがクライアントのモノサシに合わないものであれば評価はされない。だから、クライアントを知り、クライアントの求めるものを見つけ、それに応えることが何より優先される。たとえば、ビジネスの課題に取り組みたいと考えているクライアントには、そこに響くことをしないと意味がない。

また、クライアントが適切なモノサシを持っていない場合も往々にしてあるので、必要な情報は提供し、別のモノサシを勧めることも重要になる。僕が教育分野でやっていることでいえば、ツールの活用事例を見せたり、プロトタイプを作って見せたり、講演をしたり本を読んでもらったりといったこと。学会で積極的に発表したり、他の人の研究や実践に意見を述べるのも、業界に別のモノサシを持ち込むための活動だ。ビジネス業界以上にITへの理解が遅れている(というか拒否感がある)教育業界では、こうしたことを死ぬ気でやらないと、自分の存在価値すら危ういのが現状なので。

だから、自分の仕事を評価する人たちのことを知ること、評価してもらえるよう自分たちのことを説明すること、そして信頼してもらうことが、Web制作者には求められる。これって、コミュニケーションスキルそのものであって、技術力云々の話ではない。

それなのに、Webサイトを作ることにばかり意識が向いて、コミュニケーションを「削減すべきコスト」として捉えている制作者が、ずいぶん多いような気がする。コードを書いたりグラフィックを作ったりするのも確かに仕事だが、その仕事は「直接的には」求められていない。極端に言えば、Webサイトを作らなくても良いのであれば作らなくて良いし、あなたが作らなくてもそれが手に入るならクライアントは一向に構わない、ということだ。

べつに作ること自体を否定するわけではない。コミュニケーションを省いて「ただ作るだけ」でも適切に評価される土壌なら、それでもいい。でも実際は「デザインが正当に評価されない」とデザイナーはぼやいているわけで、それでは自業自得と言われても仕方がないと思う。

技術の進化が人を不要にする

いっぽうで後者、社内でマークアップやグラフィックを担当する働き方の場合はどうか。クライアントに直接対面するのは社内の他の人間だし、プロジェクト自体がクライアントやユーザーの方を向いているのか確かめるのも自分以外の人。となると、より技術に注力できるという点で「自分に向いている」と感じる制作者も多いと思う。

こういう場合、自分の評価は「社内で必要とされる仕事かどうか」ということになるのだが、これは別の苦労が求められる。必要とされる技術が移り変われば、その技術でしか自身の存在価値を示せない人は、社内的に不要になるだろう。だから、いま自分がやっている作業や得意としている技術が、それ自体を磨くことは当然としても、いつまでその価値を保っていられそうか常に監視していないといけないことになる。そのためには、業界全体の動向を追いつつ、未来を想像しないといけない。これには正解がない。想像することもスキルのひとつだ。もしヤバそうだったら、次に乗り換える準備をしたり、技術が変わっても活かせる何かを身に付けないといけない。

それができるかどうかはその人次第だし、技術のキャッチアップが大変だ!と言っている多くの人はそういうタイプなのだろうから、覚悟して頑張るしかない。ただ、Web業界は機械化・自動化をすることで進むという傾向が強いので、いまやっていることの大半は、人がわざわざしなくてもいいことや、専門家がしなくてもいい(=アルバイトで十分という)ことになるだろう。組織が抱えるWebの専門家は、少数精鋭の方向に行くのは避けられないと思う。この働き方で頑張るのも簡単なことじゃない。

ポスト・オレオレWeb業界

Web業界って、技術の進化によってポンと生まれて、技術の進化によって拡大したわけだけど、技術を持てる者がユーザーそっちのけでパフォーマンスを繰り広げてきた業界、という印象がある。もちろん、ちゃんとした仕事を昔からやっている人たちも多くいる。でも、Webが社会のインフラになって、他の業界と関わりながら成立することが当たり前になった現在、Web制作者という業界の多くのプレイヤーが、いかにWebのことしか見ていないか、いかに目の前の技術のことしか見ていないかが、露呈したんじゃないかと思う。

僕は、クライアント側で発注先の選定に携わることも多いせいか、制作会社に対する不満を耳にする機会も少なくない。たとえば「制作会社のホームページを見てもどこに頼めばいいかわからない」とか「教育のことを理解しようという姿勢がまるでなく、提案もせず作業指示を待っているだけ」とか。

それを聞いた最初のうちは「自分に依頼が回ってくるチャンスかも」と思ったりもしたが、そんなことはない。逆だ。クライアントにしてみれば、そういう経験はWeb業界全体への不信へ直結する。制作会社からすれば単なる一案件にすぎなくても、クライアントに発注の機会はそう何度もない。結果プロジェクト自体の数も減っていく。こうして僕らみんなの仕事がやりにくくなっていく。

Webには未来があると思うし、Webのデザインは未来のデザインだと思う。でもWeb業界は、その可能性ほどには信頼されていないのではないか。もしそうなら、まず自らが信頼される業界にならないことには、どうしようもないと思う。Web業界が「オレオレ制作者の集まり」だというのは、インターネット的で悪いことでもないと僕は思っている。ただ、次の一歩に進むためには、オレオレでしかない制作者は表舞台からご退場いただくしかないのではないか。業界を作るとは、そういうことじゃないかと思う。

ちなみに

最初に紹介した「Web Desigining」の2003年2月号の裏表紙は、木村佳乃だった(interQの広告)。10年ものあいだ業界で存在感を出し続けるってすごいのう。