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単なるスポーツとしてのサッカー

ネイマールが準々決勝でケガをしてしまった、という残念なニュースを聞きながら、この記事を書いている。でもブラジル代表の話じゃなくて日本代表の話。

今大会の日本代表の最後の試合が終わったあと、NHKの夜のニュースで岡ちゃん(岡田武史前監督)が日本代表の戦いぶりについて話していた。岡ちゃんいわく「ギリシャやアメリカには、なりふり構わずプレーする必死さが感じられて、感動すらした。そこが日本には少し欠けていた気がする」のだと。そこでキャスターが「日本を代表しているという誇りを持って戦うためには何が必要か」と質問。岡ちゃんは「仮想の敵を作ることで一致団結するというやり方は昔からあるが、それは危険なことでもあるので・・」というようなコメントで濁していた。

僕はJリーグの開幕ぐらい(つまり20年ぐらい前)からサッカーを観ているが、特にワールドカップに対しては、勝ち負け云々より「楽しい試合が見たいなぁ」という思いが強い。日本の試合にしても「国を代表する誇り」とか、そう思う選手や観客がいてもいいけど、みんながそんなこと感じなくてもいいと思っている。

毎日いっしょに練習するメンバーのクラブチームと、年に数回のイベントのために寄せ集められたメンバーの代表チーム。単純にサッカーの質で比較すれば、いわば即席の代表チーム同士の試合は、日々練習を重ねたクラブチーム同士の試合よりレベルが落ちることが多い。

その代わりとして魅力を補うのが、いわゆる「国同士の対抗意識」なのだろう。でも強豪国には移民系や帰化した選手も多いし、国別チームといっても構成メンバーの顔ぶれは多彩になっている。サラリーを支払ってくれるのは代表ではなく所属チーム。寄せ集めで行なう4年に1度の大会よりも、愛着もある所属チームの試合が自分にとっては大事、と選手が考えるのも無理のないことだと思う。

先日NHKで放送されていた「“オシムの国”のW杯」という番組では、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史を紹介し、民族紛争におけるサッカーの役割が語られていた。よく言われる「サッカー文化」とは、その地域の歴史・政治・宗教と不可分なものだったりするので、サッカーを通してそれを学ぶのも楽しみのひとつ。でも、やっぱりサッカーはサッカーであり、スポーツにすぎないというのも、忘れてはいけないことだと思う。

日本代表の選手たちの何人かは試合後に「自分たちのサッカーができなかった」というコメントをしていた。これは今回のワールドカップに限った話ではないが、そもそも「自分たちのサッカー」とは何なのか。日本代表として戦うという文脈ゆえに「自分たちのサッカー」は「日本のサッカー」と読み替えられたりするが、そうじゃないだろう。ザック監督の好きなサッカー、本田や香川ら選手の好きなサッカー、背が低くてパワーが十分でない選手であっても勝てるサッカー、観客が見たいと思っているサッカー。そういう様々なものが全部ミックスされて、その時々でその時々の形になったものが「自分たちのサッカー」ではないか。

日本には「サッカー文化がない」とも言われる。それならそれで、歴史や政治や宗教と離れた形で、単なるスポーツのサッカーとして、魅力あるサッカーを目指してくれればいいと思う。楽しいサッカーを見せてくれるなら、僕は日本代表というチームを応援する。それぐらいで、いいんじゃないかな。