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TwitterとFacebookと友達と私

Twitterのフォローという仕組みが好きです。発言は基本的に誰にでもオープンに公開されている。気になる人はフォローすれば発言を追っかけやすくなるけど、別にフォローに断りなんかいらない。ちょっとした勇気を出せばリプライで話しかけることもできる。そんな流れは、人付き合いのプロセスと似ていて、とても自然な感じがします。好きな人のことはまず知りたくなって、知ると今度は話したくなって、でも話しかけるまで思いは秘密にしておきたい気持ちもあって、というように。

Facebookで同じことをやろうとすると、相手に友達の申請をして承認してもらう、という形になります。片方が勝手に情報を引っ張ってくることはできなくて、最初は必ず相互の了解が必要。オレたち友達だよな!っていう約束を結ぶ感じ。でも、Twitterで知らない人から話しかけられるのって全然問題ないというかむしろ歓迎なのに、Facebookで知らない人から友達申請がガンガン来ると何だか気分がよくないんですよね。いやいや、Facebookはすでにリアルに成立している友人関係を持ち込むものだから当然でしょとか、フォローかフレンドかなんて用語の問題でしょとか、確かにそうなんですけど。

Facebookの「いいね!」も、とりあえず気軽にポジティブなフィードバックができるという点は悪くないし、実際もらったら嬉しいのは事実です。でも、いいね!してくれたらゲームに参加できますよとか、まずはアプリ承認してくださいねとか、よくありますよね。そうなると、結局コミュニケーションなんて情緒的なものは一切なくて、情報のフィードを許可するダイアログのOKボタンみたいなものなのかと感じてしまうわけです。そこが何とも。

よく「名刺交換で相手の顔と名前を覚えようと努力してるんだけど、なかなか難しい」みたいな話を聞きます。僕は物覚えが悪い方だと自覚していますが、顔と名前を一致させることって、別に気にするほど重要じゃないと思っています。そりゃ顔と名前が一致してれば、その人が話題に上がったときにわかるし、見かけたときに呼び止められます。その人の情報においてかなり重要な要素なのもわかります。でも、出会った人を広く覚えていこうと努力するエネルギーがあるなら、それをもっと他のこと、例えば、猫が好きだとか、サッカーが上手だとか、話し方がかわいいとか、好きな本は**だとか、そういう情報を覚えることに使った方がいい気がします。だって、そういうことを2つ3つ知ってたら、その人と話すきっかけができるし、喜んでもらえるかもしれないでしょ。

覚えようなんて努力しなくても、好きな人のことは自然にインプットされていくし、ステキだなと思ったことは忘れないもの。相手の名前を呼ばないで済むような話し方もできないわけじゃないし、ニックネームを付けちゃえばそれでOKになったりもする。名前も所属も忘れちゃったけど、会ったら楽しく話せるよっていう人たちが僕には多いです。名前を覚えるに越したことはないけど、覚えることよりコミュニケーションをとれることが大切。そして、そうやってつながっていく人の輪が、意味のあるネットワークだと思うんですよね。

TwitterのBIO欄には大したことを書いていない人が多いし、普段そんな欄も見ない。自分が参加していない会話や独り言ばかりを眺めることが普通なのがTwitter。だからこそ、発せられた言葉だけ、そこに起こっているコミュニケーションの中身だけに意識が向く。そんなところが気に入っているのかもしれません。

逆にFacebookで友人を増やそう増やそうとする人は、パーティーでとにかく名刺を配りまくる人に似ている気がします。情報の流れる道の確保が最優先で、その道に立っている人には関心がない。そういうの、全然心動かされないなぁと思うし、ネットワークって思えないです。

そんなこんななので、僕はFacebookではあまり友達を探しもしないし、アウトプットはTwitter中心というのが、しばらく続きそうなのでありました。