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プレゼンの時間は、みんなの時間

2012PCカンファレンスのシンポジウムで気になったのが、パネリストとしてプレゼンを行なった人たちの、プレゼンに対する意識でした。

僕が聴いていたシンポジウムは、4人のパネリストがまず自分の専門について自己紹介的にプレゼンし、その後聴衆も参加する形で議論を深めるという流れでした。司会の話によれば、自己紹介は全員で30分、つまり1人当たり7分程度でということだったようですが、あろうことかトップバッターが20分以上しゃべり続けても一向に終わる気配がない。そんなに伝えたいことがあるのかというと、スライドは使い回しなのか不要な部分がわんさか、話は冗長でポイントが不明、おまけにPowerPointの基本的操作も理解していない(フルスクリーンにせず左にスライドのサムネイルを出したまま使い続け、もともと小さすぎる文字がまったく読めないサイズに)という始末。

話し終わってさすがに司会が時間超過について苦言を呈し、やっと2人目のプレゼン開始。が、この人もまた同じくらい時間を使うわけです。スライドはこの日のために作った感じではありましたが、とても7分で消化できる内容ではない(僕はこの人の著書をいくつか読んでいたので内容についてアタリは付いていました)のです。話が終わって司会が一言。お二人で1時間も時間を使ってしまった、と。割を食わされた格好の残り2人のパネリストは、7分以内にプレゼン終了。残りの時間で議論は行なわれましたが、会場からの意見は時間の都合上拾えず、話も拡散気味になって予定の時間に到達。司会は何とか実のある議論を引き出そうとしてたんですが、時間配分があまりにも予定外すぎましたね。

時間を大幅に超過した二人のパネリストは、緊張やミスやトラブルでそうなったのではないでしょう。最初から時間内に収まるようなプレゼンを準備していなかった、自分のプレゼンの所要時間を計算してもいなかった、たいして練習もしていなかった、つまり最初から時間を守る気などなかったのではないでしょうか。いや、あの出来では「意識はあった」などとは言わせません。時間をオーバーすれば誰にどんなしわ寄せがいくのか、シンポジウム全体の質がいかに低下するのか、それによって聴衆の期待がいかに裏切られ、みんなの貴重な時間が奪われるのか、何も考えてないんだよねと思わざるを得ないです。正直「舐められたもんだなぁ」と感じました。

僕は大学でプレゼンの授業を担当していますが、スライドの作り方とか話し方とかいった細かいテクニックは(特に最初は)あまり扱いません。もちろん、そういうことを1つずつ詰めていくことでプレゼンの質は確実に向上するんですけど、そういうことは逐一教えなくても、学んでいくコツさえつかめれば自分で学んでいけます。それよりも大事なのは、プレゼンという機会を大事にすること。プレゼンを依頼してくれた人のこと、聴いてくれる人のこと、そして自分自身のことを突き詰めて考えれば、自分が何をすればいいかは見えてくると思うのです。例えば「プレゼンでこういう結果を得たいから、それにつながると思われる準備をする」というように。テクニックはその土台となる姿勢があって初めて意味を持つはずです。

単にプレゼンが下手なだけならともかく、その結果の裏に、プレゼンを、聴衆を舐めた態度があるのなら反省してもらいたいです。やっぱり肩書きを背負って、ある種のプロとして登壇してるわけですからね。プレゼンの質についても気を配ってほしいし、ましてや自分に課せられた責任は自覚して振る舞ってほしいと思うのです。エラくなったら誰にも表立って苦言は呈されないのかもしれませんけど、いつか大きな舞台での大失敗となって返ってくるかもしれませんし。

あと、僕はプレゼンの場を演劇になぞらえるのが好きで、プレゼンはプレゼンする人と聴衆の協同作業だと思っています。プレゼンをする人は聴衆とうまくコミュニケーションを取り、聴衆もサポートする姿勢で参加するような形。互いに協力して、良い時間を生み出そうとする場。そう考えると、プレゼンをする側にダメ出しというか、何かを求めるような動きが聴衆にあってもいいと思うんです。サッカーのブーイングじゃないですけど、今回のように明らかに聴衆を無視したような展開には、それ違うんじゃないのってスムーズに言える形があっても、と。それが相手のためにもなりますしね。

与えられた時間の中で最善を尽くす。野球は9回。サッカーは90分。勝手に延長などできないし、時間が決まっているからこそ、果たすべき役割も決まるわけで。そして時間はみんなのもの。そこを忘れないでプレゼンしてほしいと強く思ったのでした。