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シンプルなのはクリエイティブの結晶であって、クリエイティブそのものじゃない

PCカンファレンスのシンポジウムで、PC講座の運営側の学生が「教えること・学ぶこと」について経験を語りながら考えるというものがありました。このPC講座というのは、大学生協がやっているもので、新入生などを対象にPCの基本的な使い方やOfficeなどのツール、大学によってはプレゼンテーションとかまで教えるというもの。講師は大学生で、2年生が1年生に教える、みたいな形になっています。

僕も、日本語教育の分野で教育実習は(実習生としても、実習生の成長を見守る側としても)経験してはいるので、教えるという経験が学生にとって大きなものであるという実感はあります。たとえ教育関係の仕事に就かなくても、これはコミュニケーションの問題解決と捉えられるので、どんな仕事をするにしても生きてくるはずです。

教えるということや、講座の運営で直面する課題にどう取り組んでいったかが、堂々としたプレゼンで前向きに語られるのを見て、毎年「ほんとこの学生たちはしっかりしてるなぁ、すごいなぁ」と感心することしきりです。今回のシンポジウムでは、司会の北村さん(熊本大准教授)が、教育学的な視点から話をまとめたり、理論的なアプローチを補足していました。

と、内容としては非常に素晴らしいし、教育学的なフォローも的確だと思うのですが、シンプルできれいにまとまりすぎている感もあるなぁと、おせっかいながら感じもしました。

例えば「直面している課題の要因を整理し『見える化』する」というアプローチは、有効な手法だと思いますし、同じような課題に直面している聞き手の学生にとっては、明日からでも取り組めそうな、具体的・実践的な考え方だと思います。

でも気をつけなければならないのは「シンプルなものは美しく魅力的であるがゆえに、すべてそれで解決できそうな錯覚に陥りやすい」ということです。実際の現場に存在する問題は、多様かつ複雑で、一つとして同じものはありません。シンプルな理論や方法は多くの課題を解決する一方で、「個別的で小さいけれど重要かもしれないもの」が解決されないまま残ります。そこにきちんと目を向け続け、シンプルな理論や方法を微調整したり、あるいは時にバッサリと捨てたりする意識も持っておかないといけない、と思うのです。

理論と実践の融合などというテーマは、教育学でもよく語られます。特に現場で苦労している人間にとっては、理論的なものが「すべてを解決する必殺技」のようにありがたく感じて、すべての要因に過剰に適用したり、あるいは適用が難しいものを「なかったもの・ささいなこと」に捉え直してしまうことを引き起こします。自分の中に一歩引いた視点を持つことを忘れないというか、いつでも考えを乗り換えられる心を持っておくぐらいが、ちょうどよいんじゃないかなぁと思います。

シンポジウムの参加者に具体的で実践的な問題解決のヒントを持って帰ってもらう、というのは大切なことです。ただ、いくつも問題に直面して、あれこれ悩んで、いくつかの策を試してみるという経験は、遠回りかもしれませんが。簡単にショートカットすべきでないことだと僕は思います。なぜなら、そこで悩んで試行錯誤することが、理論を適切に扱える土台の経験になると思うからです。なので、あまりまとめすぎちゃうのもかえって、というか、多少ふわっとしたまま聞き手に投げてもよかったんじゃないのかなぁとか。

シンプルなのはクリエイティブの結晶であって、クリエイティブそのものじゃない。複雑なものは複雑なまま捉える、ということは意外に忘れられやすいのかも、と思います。

カンファレンスでは次から次へとプログラムが続くので、途中でクールダウンしながら、各人が自己の経験を語りながら消化する時間があるとよかったかなぁ。僕も学生に何を感じたか聞いてみたかったんですけどね。