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e-Learning とかもういいから。

普段から教材系のWebサイトを作る仕事が多いので「専門は e-Learning ですね」とか言われることもあったりするのですが、個人的には e-Learning という言葉が好きではありません。以前の記事「唐揚げのレモンはもういいから、そろそろ次に進もう」でも書きましたが、デジタルなものとかネットとかは、もう僕らの日常に欠かせないものになっているので、それを使って学ぶことは、いたって普通のことです。なのでそれを e-Learning などと特別に形容すること自体、もう時代遅れなんじゃないの?と思ってしまうのです。

大掛かりなシステムで何から何までデジタル化し、PCの箱の中ですべてが完結しそうな勢いの学習スタイルが e-Learning である、と思っている教師はまだやっぱり多くいて、もちろんそれも e-Learning には違いないんだけど、もっと道具としてピンポイントにデジタルツールやネットを使う授業だって当然OKなわけです。なのに「e-Learning は非人間的だ」とか「教師としての我々の仕事が奪われる」とか言って闇雲に叩くさまを見ていると、なんかもう e-Learning とか特別な言葉で呼ぶから、旧来の学習スタイルと対立するような印象を与えるのではないかと思ってしまいます。黒板がホワイトボードになったように、ノートがiPadになるだけですよ。普通に Learning でいいじゃないですか。

あと、全部とは言わないですけど、教育系イベントに出展してる企業が「e-Learning ソリューションパッケージ」とか言ってシステムを売りつけることを延々とやってるのも、問題を長引かせている要因じゃないだろうかと思っています。授業の動画をPowerPointに貼り付けて圧縮して配信、みたいなシステムは、それこそ10年近く前からイベントで見かけます。もちろんそれが効果的な環境もあるんでしょうが、自分の現場のニーズとは乖離してるなぁと感じる人たちも相当に多いはずです。でも他のアイディアというかアプローチのものって、なかなか見かけない。まぁそういうのは「パッケージとして利益が出ない系のもの」ってこともあるんでしょうが、ああいうのを見させられ続けると、e-Learning のイメージは貧しいなぁと感じてしまいます。

先日の日本語教育系の国際研究大会で、僕は大学の先生と留学生対象の授業用SNSの話をしました。授業で使うFacebookだとイメージしてもらったらいいです。教師と学習者が連絡や提出物のやり取りをしたり、教師同士で引き継ぎや教材の共有をしたり、授業用にリソースの提供やディスカッションが行なえるオンラインの場を用意したり、そういうコミュニケーションのための場を作ったわけですね。そういうのと、無線LANやデバイス(これは学校PCから各学習者のスマートフォンに移りつつあります)をインフラとして提供することで「ITを使おうと思えば使える」状況にする。そこから先は、教師の方針や授業内容によって、何かアプリを使うなり、あるいは従来通り紙の教材を使うなり自由に判断してやっていけばいい。教師のリテラシーの問題もあるし、道具がまだこなれていないってこともある。無理矢理すべてをデジタル化する必要なんてない。そんなふうに始めればいいんじゃないの?ということを結論のひとつとして述べました。

e-Learning だなんて構えず、偏見を持たず、意固地にならず、まずは気軽に取り組んでみてほしいし、取り組みやすくするための環境整備に少しでも投資してほしい、そう思います。教師は iPad とか iPod touch をひとつ自腹ででも買ってみて、授業の何かに使えないかな?と思いながらさわってみてほしい。学習者と話のネタになるだけでも、それは大きなことだと思いますよ。そうすれば、それぞれの e-Learning が見えてくるだろうし、やがてそれは e-Learning などと言う必要のない、ごく普通の学びのスタイルのひとつになっていくはずです。