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わたしの履歴書

PCカンファレンスのITフェアで、日経BPの方にキャリアデザインについて熱く語ってしまいました。特に事前にキャリアデザインについて話したい気持ちとかなかったのですが、新刊として本を紹介されたので、それをパラパラやりながらつい思考が展開していって・・・という感じ。どうも長時間すみませんでした(以前はモリサワの人に同じパターンのことをやってしまっているワタシ)。

その本のレビューは後で書こうと思うのですが、キャリアデザインを語る前に自分のキャリア(といってもたかが数年)を振り返ってみようかと。

よく周りから「どんなふうに生活してるんですか」とか聞かれるんですが、別に隠してるわけでも特別変わった生計の立て方してるわけでもありません。今は「Webサイトを作る仕事」と「Webのプロジェクトに口を挟む仕事(つまり自分はコードとか書かない)」と「情報活用術を教える講師の仕事」をやっています。PCカンファレンスの発表なんかは3番目の領域になるのかな。今後この3つがどういうバランスになるのか、またどれか消えたり、新しいのが増えたりするのかわかりません。いや「わかんないよねー」っていうほど楽観的でもなく「こうなるよ」と明言もできないということなんですが。

で、振り返ってみるとですね、仕事のことを意識したのは大学3回生の後半で、その時は雑誌の編集者になりたかったんで、出版社を目指して就活してたんです。第一候補はMYCOMで、まぁMac Fanとか好きだったからっていうのもあったんですけど、筆記試験受けて、次は面接だーとかいう時に、とある日本語教育機関で働いてみない?とかいう誘いがあったんです。そこは正社員とかではなくて、週に何日かっていう契約で、教材制作とか授業の補助とかそういう仕事でした。日本語教育を研究してる身としては、現場で働けるってすごいチャンスだなーとか思って、大学院に進学することにして仕事を選びました。それが僕の最初のキャリア選択になるわけですよね。

でも、大学院に進学した途端、その教育機関の財政上の問題とかで、いわばリストラに遭いました。うぉ、こんなに簡単に仕事って失われるものなのね・・・とか思って指導教官に相談したら、日本語教師として仕事をさせてもらえるところを探せと言われました。で、教師としての経験はほとんど(教育実習程度しか)なかったんですけど、雇ってくれるところがあって、そこで必死に頑張ったのです。

で、修士課程の2年目で、これからどうするの?っていう時期に悩むわけです。博士後期課程に進学する(つまり研究者として身を立てていく)ほどの志もなく、日本語学校の専任教師を目指すというのにも何か踏み切れない。かといって余分に2年も歳食った自分は一般企業にどう就職するの?とか考え出すと鬱々として、何か突破口はないかと思って日本語以外の世界に足を運んだりしてました。そこで参加したのがPCカンファレンスで、情報教育(小中高大でのコンピューターとかネットとかの教育)という分野に関心を持ち、というか、そこで議論されてる内容があまりに納得のいかない話で「これは僕もヒトコト言わせていただきたい!」と思って、来年以降も参加するぞという気持ちになったのです。

それが日本語教育と距離を置くきっかけになったのですが、それは仕事の選択にはなりません。情報教育の先生になるわけじゃないですからね。もう1つの契機として「Webデザインにおけるディレクターの重要性」というのを感じた、というのがあります。学校の先生とWeb制作者の話が噛み合わない、噛み合わないから互いにストレスを抱え、成果物もイマイチなものが出来上がる・・・それなら、ITと教育が両方わかってる人がいるといいんじゃない?というね。その時は趣味の独学でサイトとか作ってましたから、本気で勉強してそれを仕事にしようと。

そんなわけで、大学院は2年で辞めてIT系の専門学校に籍を置くことにしました。Webの勉強は独学でもある程度できると思ってたので、学校は業界とのつながりを得るため(なんせ全くの畑違い出身ですから)という意味合いが大きかったのですが、卒業後は結局就職しませんでした。

ここが僕の厄介なところで、進路転換の理由が「Webデザイナーになる」だったら間違いなくWeb制作会社に就職してたと思うんですが、教育畑という自分のバックグラウンドを活かしたディレクションにこだわりがあったので、ECサイトとかがメイン事業の会社に魅力を感じなかったんですね。修士で辞めるときに「教育分野のWeb制作のディレクションに対価を払ってくれる人はどの程度いるのか?」ということは自分なりに考えてて、勝算がないわけじゃないとか勝手に思ってたんですが、フリーで活動することを熱望してたわけではなかったので、結局行く会社がなくてフリーになりました、という感じです。ね、なんというかアレなんですよ。

専門学校卒業後、日本語の教育機関で週に何日か(教師ではないですが)仕事をしていたので収入はゼロではなかったですが、卒業後半年間で請けれた案件は2つ。それも専門学校時代の友人の紹介で、友人と制作費を分け合うとわずかな報酬。このままの状態が続くようであれば派遣会社に登録しようとか思いはじめていた年末、大学院の時に世話になった先生や日本語学校の先生が仕事をくれて、やっとWeb制作者らしい仕事、しかも教育分野という自分の願いがかなって、僕のフリーランス人生が始まったわけです。

そこから今に至るまで、Web制作案件にしても講師のお話にしても、知り合いか、知り合いの知り合いからの依頼がほとんどです。そりゃそうです。こんな個人で裏の裏通りに店を出してる人間ですから、見知らぬ人が声をかけてくれるなんて期待できない。だから、頼まれた仕事を期待以上の結果で返して、自分がした仕事をできるだけ多くの人に伝え、自分自身の露出を地道に増やす、ということを常に意識しています。僕の場合は「教育」「日本語」「情報」というようにフィールドを限定しているので、そこで存在感を出していかないといけない。学会発表を積極的に行うのは、教育に関わりたいという願望と同時に、営業の一環でもあります。

もちろん、学会で発表したからといって、そこで知り合いができたからといって、すぐに仕事に結びつくことはないのですが、あとになって話が巡ってくるということは本当にありました。だから今後も地道にやっていくつもりです。もちろん、仕事云々だけでなく、共感できる人たちと出会えること自体がとても嬉しいのですが。

やはり長くなってしまいましたね。

フリーランスとして仕事を始めてからの数年間の記述が超短いのですが、これはキャリアの選択という視点だと、あまり変化があるわけじゃないので割愛です。ただ、何も考えず仕事の依頼を待つ暮らしというのではなくて、新しいことを知り、新しい人に出会い、その中で自分が何にウェイトを置いて時間を使えばいいのか?ということは常に考えてはいます。実際目の前の仕事に押し流されてしまうことも多いですが、どんな未来を描き、それを現実に引き寄せるかを考えるのは、難しくも楽しいことです。というか、そう思えないとフリーランスとしてキャリアをデザインするのは無理、とも言う気がするのですが。

で、キャリアデザインについて何が言いたいんだお前は、という話は、また後日のエントリーにて(おい)。