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実践報告に対する「そもそも論」的なツッコミ

先日も日本語教育の実践研究の発表をいくつか聞いてきたのだけれど、対象が日本語学習者という共通点があるだけで、実に多種多様な取り組みがあるもんだなぁと思う。大学や日本語学校の置かれている現状、あるいは学習者が直面している現実との兼ね合いもあるんだろう。多様すぎて何でもアリ感が強すぎるのがちょっと気にはなるけど、日本語教育は単に「日本語の文法や語彙や発音を学べればOKなもの」ではないのだから、まぁ方向性としては間違ってない。

ただ、そういう流れで「日本語教育ど真ん中」ではない領域を日本語教師が扱う際、見当違いのことをやっちゃう可能性がどうしても出てくる。ちょっと前に発売された「日本語教育 学のデザイン」でも少し書かせてもらったのだけれど、教師は自分の専門領域外のことも謙虚に勉強していかないと、ものすごく偏った視点で物事を捉えてしまいやすい。そしてそれが、学習者の不当な評価につながったりする。

たとえば、日本語教育の文脈で「プレゼンテーションスキルの育成」を扱う実践は本当によく見かけるけど、プレゼンのスキルって複合的なもの。どの部分を重要視するか、どんな結果を目指すのかによって、必要な教育は大きく変わってくる。

極端な話、日本語能力が不十分でも伝わりやすいプレゼンはできる。僕が大学生のころに出会った学習者はそうだった。視覚資料の使い方が効果的だったり、話の組み立てがうまかったり、場の空気を読んで感じ良く受け答えをしたりするスキルがあった。プレゼンスキルを問う授業であれば、その学習者はわざわざ教える必要もないレベルで優秀だし、日本語能力を問題にするなら、その学習者にはプレゼンを切り口にした授業は合わないだろう。

実践報告を聞いていると、授業で扱う領域の構成要素が整理されていなくて、何のために何を手段とするのかを曖昧にしたまま走り続けている教師が、けっこう多いと感じる。そういう授業を受けさせられて謎の評価をされる学習者の身にもなってあげてほしい。

では、専門以外の領域についてどうやって勉強するのかというと、ベストな方法や難易度は領域によって異なるだろうと思う。なのでプレゼンについてだけ少し。

僕の経験上だとプレゼンスキルに関しては、とりあえずAmazonの書評とかを見て、良さそうな本を10冊ぐらいざっくり読む。そうすれば、セミナーで見聞きできるような技術や考え方は十分拾える。あとは本屋さんに行って、ちょっと違ったアプローチの本を見つけたら読んでみる。あとは自分の専門領域との接点を見つけて、目的に合う実践方法を考える。最後がいちばん難しいんだけど(笑)、まぁそんな感じでいけそう。

ありがちで危ないのは、ベースを身に付ける前に、何かの方向に特化した特殊なメソッドに陶酔して、そのやり方に過度にこだわってしまうパターン。教師がロマンに走る、と僕はそれを呼んでる。いろいろと考え抜いた結果が奇抜な手法になることはあるんだけど、そういう場合の奇抜さは表面だけで、中身は王道だったりするもの。王道の価値が十分に理解できないうちは、奇抜さにはむしろ批判的なくらいで、ちょうどよい気はする(特にそういうのに魅かれやすい人には)。

実践報告の発表の場においても、そもそもの「何のために何を使って」の部分に対して、聞き手はもっと突っ込んでいいんじゃないかと思う。発表者も、そういう「そもそも論」に対する質問がきたら、それに真摯に向き合ってほしい。専門領域の外の話だから発言しにくいとか、授業のカリキュラム自体が担当教員を超えたところで決まってるから言っても仕方がないとか、いろいろ難しい部分はあるのかもしれないけど・・・。