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「難しい」の意味するもの

「それって難しいよね」は便利な言葉だ。この世の多くの話題は「それ」の中に入れることができる。いや、入れても違和感がないと感じてしまう。だから、どんな話題の後にも続けられる。そしてオチをつけられる。何事もなかったかのように自然に。

「簡単だ」と言い切るのは「難しい」と言うよりずっとリスキーだ。簡単ならば即実行せよ、確実に結果を出せと迫られかねない。とりあえず「難しい」と言っておく方がセーフティーだ。「簡単だ」はほぼ一色にも聞こえるけれど、「難しい」にはグラデーションがある。言い訳も逃げ道も作れる懐の広さがある。

人はシンプルなものを好むと言われる。でもそれは、シンプルという結果に心惹かれるという意味だ。簡単に選べるのならば、複雑で得体のしれない塊より、美しくシンプルに加工されたものを手に取ろうとする。人によっては、本当は複雑で面倒なものを、無理矢理に表面だけシンプルなものにして満足しようとしたりする。シンプルな結果が得られるとは限らない面倒なプロセスには参加したがらないし、その複雑さをそのまま受け入れるのにも抵抗がある。

「難しい」は形容でしかない。その意味では「簡単だ」と同じだ。「難しい」からどうだというのだ。何をするのか。何もしないのか。難しかろうと簡単だろうと、何もしなければしなかったことを評価するし、何かをすればしたことを評価する。そういうものじゃないのか。

そう自分に言い聞かせないと、世界は「難しい」だけで終わってしまう。