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普通に生きることの幸せ

先日ひょんなことから、自分の人生を走馬灯のように振り返り眺めるイベント(何)が起きたので、まぁ今までも思ったことはあったけど改めて、いまこうして普通にブログなんぞ書く日常が送れてるのって、じつに幸せなことだなぁと思った。

幸運にも良い医者が担当してくれたとか、ひどい事故だったけど打ち所がまだ良かったとか、みんなの反対を押し切ってやった結果が良かったとか、そういうことが僕のこれまでの人生にはあった。同時に、あの医者が担当していなければ結果は違ってただろうにとか、無謀なことは控えるべきだったとか、なんで自分だけこんなにひどい目にとか、そういうこともあった。幸運な人生にも、山のようなタラレバはある。かわいそうにという言葉も散々聞かされてきた。

以前、そういう話の具体的なところを友人にしたら「悲しい記憶を蘇らせるようなことをさせてゴメンね」と予想外な反応だった。自分から語りはしないが、大なり小なり誰しもそういうことがあると思う。そして、そういう起伏とずっと付き合いながら生きてきたのだから、語ること自体はそうネガティブなことでもない(あんまりネガティブなことなら語れないだろうし)。忘れることは忘れていくし、忘れないことは忘れない。いまをどう思って、どう生きていくかが何より大事で、その延長に語ることが位置づけられるなら、それは悲しい行為だけではないと思う。

しかしあれだね。生きてることが幸運なのに、好きになったり嫌いになったり、他人の喜びや悲しみに口を挟もうとしたりと、ぜいたくな遊びをついしてしまう。いや、生きている幸運を謳歌したいからこそ、そんなぜいたくに興じてしまうのか。

どうも「生かされているのだから、人のために生きる」というのは大変に感じる。でも「生きているのだから、その幸運を生かして、やれることをやる」というのなら、ちょっと主体的で僕にもやれそうな感じがする。

普通に生きていくのは本当に大変だし、普通に生きていけるのは本当に幸運だ。だからとりあえず、普通に生きようと思う。