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日本語教師とバラ色の未来

先日は日本語教育学会に参加しに富山に行っていました。帰りは台風から逃れるように急ぎ足だったのですが、滞在中はおいしいお魚を堪能できて、研究者仲間とも話ができて良い時間でした。めでたしめでたし・・というので終わってしまうのも何なので、今回改めて思ったことを「日本語教師とバラ色の未来」というキーワードで書いておきます。

数年前から言い続けていますが「日本語教師の活躍できるフィールドは、最近どんどん広がってきている」と思うんですよね。

僕がこの数年関わってる看護・介護の分野もそうだし、特にグローバル企業のようなビジネスの現場でもそうだし、小中高大の学校現場や地域コミュニティでもそうだし、どんどん外国人客も増えてくる飲食業界もそうだし、ちょっと変化球だけどWeb業界におけるエンジニアとデザイナーの協業なんかもそう。日本語教師の持っている、言葉、多文化、コミュニケーション、教育学、研究手法、あとワークショップなどのデザインアプローチに関する知見が必要とされてるフィールドって、本当にたくさんあるんです。解決が待ち望まれている問題がたくさんあるわけです。

実際、先の学会でもそういう発表はいくつかありました。やれることがこんなにあるんだから、その意味で日本語教師の未来は「バラ色」だと思うんです。でも一方で、手放しで喜べない状況というのも、学会などに参加するたび感じたりします。それは、日本語教師が「日本語を教えることに、こだわりすぎている」気がするということです。

上に挙げたようなフィールドで日本語教師が必要とされている役回りは、たいていの場合「学習者に教師として日本語を教えること」ではありません。ざっくり言えば「日本語教師の持つ知見を生かして現場の問題を解決すること」でしょう。その具体的な内容や立場は様々で、教えるとか、日本語とか、そういうスキルが直接的には必要とされないこともあるかと思います。

日本語教師として勝手知ったる教室で学習者と接するのと違って、まったく知らない現場に放り込まれるのですから、その分野について(少なくとも関係者からある程度信頼されるくらいには)勉強する必要があります。僕も介護分野や飲食業界についてほとんど知識がなくて、仕事を始めたころは大変でした(このあたりは前回の記事にも通じるところではありますが)。でも、そうやって勉強しながら、日本語教育に携わっていたことのアドバンテージは大きいな、とも感じてたんですよね。他の人であれば、それまで考えたことがないような視点、したことがない経験をすでにしている。しかもそれが今の時代に合ったもの、というわけです。

知らないことは学ぶこと。そして、自分のモノサシで何でも測ろうとしないこと。大学生のころに初めて日本語教育の現場に入って、自分が強く感じたのはそのことでした。日本語とか、日本のこととか、何となく知った気でいたけど全然そんなことはなかった。教育においても、自分が「こうするのは当たり前」だと無意識に考えていたことを、華麗にひっくり返すことで気づかせてくれる人たちが、日本語教育の世界にはたくさんいた。当時の自分には、そこがすごくショックであり魅力的だったのですよね。

日本語教師として日本語を教える環境が厳しい、安定した収入を得ていくのが難しいというのは、その当時から言われていたことで、今もあんまり変わっていないと思います。だからこそ、従来のような形のままの「教師として日本語を教えること」にこだわらずに、自分が活きるフィールドを探せばいいんじゃないかと思っています。

学会発表を見ていて心配になるのは、自分自身が日本語教師だという意識が強すぎるのか、目の前の問題や研究テーマを「日本語の問題」や「日本語学習者の問題」として捉えすぎているケースが一定数あることです。

たとえば、最近よく目にするようになった、ソーシャルメディアに関する教育事例。ブログを使った日本語学習とか、SNSを利用した日本語母語話者との学び合い、といったものです。で、分析を聴いてみると、ブログやSNSというメディアの部分の問題を考慮せずに、日本語にばかり注目していたりするわけです。僕もIT系の仕事をしていますから、こういう発表はついつい気になってコメントしてしまうのですが、ぜんぜん噛み合わないこともしばしば。どうもソーシャルメディアに対する基本的な知識がないような印象を受けるので、発表者にそこを尋ねると「自分はブログを書いたことがないんで」とか「SNSはあまり好きじゃない」とか言うわけですよ。ええっ、マジかよ・・。

自分が詳しくない分野であっても臆せず取り組む、新しいことに関心を持って挑戦する、そういうのは良いと思うのです。ガンガンやったらいい。でも、やるならそれなりに覚悟して勉強し経験しないとダメでしょう。そうしないと適切な分析には近づけないし、思わしくない結果を学習者のせいにしたりしかねません。そもそも、研究対象について関心がない・学ぶ気がないとも取れるような発言を(研究発表の場で)しちゃうのは、研究者としてどうかと思うし、そのせいで不適切な評価を下される学習者の身にもなってよ、と思うわけです。

広い視野と柔軟な発想がスキルと結びついているところが日本語教師の強みだ、などと勝手に思っていたので、日本語や教師といった自分の得意分野から出ずに軽い調子でアレコレ言ってるのは、何だかすごく残念に感じます。単純に「日本語教えられます」では(それはそれで立派なスキルなんですけど)、その価値を自分から狭く定義してるんじゃないかと思いますし、その狭い定義にハマってしまうと本当に残念な人になっちゃう感すらあるのですよね。

日本語教師の未来は何色なのか。そのヒントは日本語教育の業界にはありませんし、答えは日本語教師自身が握っているように思います。